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墨跡つき仏像カレンダー2021 第17回「涙骨賞」を募集

問われる国家と宗教の関係 大嘗祭を前に(1/3ページ)

上智大教授 島薗進氏

2019年11月6日
しまぞの・すすむ氏=1948年生まれ、東京都出身。東京大文学部卒、同大大学院博士課程単位取得退学、筑波大哲学思想学系研究員(文部技官)。東京外国語大助教授などを経て東京大教授、同名誉教授。上智大特任教授・グリーフケア研究所所長。著書は『現代救済宗教論』『国家神道と日本人』など多数。

上皇陛下の生前退位と天皇陛下の即位に伴い10月22日に即位礼正殿の儀が行われ、今月14日には大嘗祭が営まれる。日本国憲法の施行後、2度目の即位儀礼だが、大嘗祭などの宗教儀式を国家行事として行うことをはじめ、天皇制を巡る憲法上の問題はまだ解決していない。

「国家神道」的政教関係の復活を警告する島薗進氏、戦後憲法学における「厳格分離説」の根拠の再検討を求める須賀博志氏、戦前の「神社非宗教論」が現代でも憲法上の重要な論点になると指摘する西村裕一氏に、それぞれの異なる視点から天皇制を核心とする近現代日本の政教分離問題(国家と宗教の関係)について論じてもらった。

代替わり儀礼と日本国憲法

大嘗祭に多額な費用を投じ、大規模な国家的な行事として行うことについては、大正天皇の即位後の1915年の大嘗祭でも疑問が投げかけられていた。貴族院書記官長であり、かつ日本の民俗学を立ち上げつつあった柳田國男が強い違和感を表した文書をまとめたことはよく知られている。発表こそしなかったが、皇室の伝統的行事から大きく隔たっていることに疑義を呈したものだ(「大嘗祭ニ関スル所感」)。

歴史上、日本列島の住民多数が大嘗祭を知っており、それをともに祝うというようなことはなかった。宮廷ではなく地域の祭りでも、多数の観客的な人々が参加することによって、伝統的な祭りの本来の姿が崩されてしまうことが多い。それを好ましいことと思っていなかった柳田の考え方が、その文書にはよく表れている。国民が祝祭に参与して一体感を盛り上げるような大規模な大嘗祭のやり方は、伝統的とは言えないというのだ。

2019年に行われる大嘗祭も大規模なものとなり、違和感を唱える声は秋篠宮に限られず、少なくない。昭和天皇没後の1990年に行われた大嘗祭のときに示された違和感の表明を引き継ぐものだ。このように敗戦後、日本国憲法の下で大規模な大嘗祭を行い、そこに国費を投入することに疑義を呈する考え方は、柳田國男のそれとは異なる論拠によっている。それは「天皇の祭祀」が国家神道の中軸として機能し、人々の信教の自由、思想・良心の自由を抑圧した戦前・戦中の歴史を踏まえたものだ。

神聖な天皇をめぐる祭り(「天皇の祭祀」)を日本国家の基軸とし、全国民がそれに参与しなくてはならないとする体制は、明治維新後に形作られていったものだ。「天皇の祭祀」は伝統的な神祇官の祭祀とも皇室での祭祀とも性格が大きく異なるもので、国民が神聖天皇を崇敬することに結びつくものとなった。キリスト教を背景とする西洋の近代国家に見習いながら対抗しようと無理をし、背伸びをして形作られたものだ。

そして、天皇の神聖性は、天照大神が天孫(ニニギノミコト)に与えた「天壌無窮の神勅」にのっとり、祭祀を行っていくことによって高められるとの教説がある。「天壌無窮の神勅」とは、神武天皇以来の皇統が、この世(日本)を永遠に支配することを天照大神が命ずるものだ。この「万世一系の皇室」が支配する「国体」、一度も王朝交代がない、神代から続く国家体制が、世界の他の国にはないすぐれた「国体」とされた。

しかも皇室祭祀にあわせて、全国の神社も祭祀を行うこととなった。天皇と天皇の先祖の神であり、天皇に永遠に日本の支配を委ねた伊勢神宮の天照大神こそがすべての神々の頂点に立つというような、神々の序列化が行われた。「皇道」を核とする新しい国家的な「神道」の形成だ。そして、明治初期に定められた祝祭日は、ほぼすべて皇室祭祀の行われる日であって、国民は自ずからこれに参与することを促された。大嘗祭はこうした皇室祭祀全体のなかでもとくに重要なものと位置づけられていく。大嘗祭は国家神道の中核に位置するものとなった。

だが、天皇が神聖な存在とされたのは、神道祭祀を行う存在としてだけではない。学校には「御真影」、すなわち天皇の肖像が下付され、それに向けて子どもたちは深々と礼拝することを求められた。また、軍人勅諭や教育勅語を通しても、天皇の神聖性が強く教え込まれ、「億兆」が一体となって神聖天皇を崇敬すべきだとする体制が作られたのだった。そして、このような国家神道と神聖天皇崇敬の体制は、明治末に日露戦争や大逆事件を経て強化され、軍国主義化が進むなかで天皇のためにいのちを捧げることこそ日本人本来のあり方だとされるような時代を招き寄せるに至った。

敗戦後に制定された日本国憲法は、こうした展開への反省を踏まえて、思想・良心の自由、信教の自由を明確に規定している。その第19条では、「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない」とされ、第20条では、「信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない」とされている。さらに、第89条では、より具体的に「公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため、又は公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し、これを支出し、又はその利用に供してはならない」とされている。

神道祭祀を国家行事として行うことは、これらの日本国憲法の規定に反するものだ。皇室が行う宗教的行事は、皇室独自の予算である内廷費から支出するのはこのためだ。大規模な大嘗宮を造営し、すぐに撤去するようなことをすれば、皇室の私的行事という枠を超えざるをえなくなる。天皇家の伝統として大嘗祭を行うのであれば、内廷費によって行うのが、国民主権、象徴天皇の体制にふさわしいものである。

大日本帝国憲法の下では、国家神道と神聖天皇崇敬が強く鼓吹された。それを復興させようとする考え方の人々もいる。だが、それに賛成するのでないとすれば、1990年、2019年のようなおおがかりな大嘗祭はこれきりにするよう、国に求めていくべきだろう。

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