PR
購読試読
中外日報社ロゴ 中外日報社ロゴ
宗教と文化の専門新聞 創刊1897年
2025宗教文化講座
PR
2025宗教文化講座 第22回「涙骨賞」を募集

釈尊と仏弟子たちの活動地域―釈尊教団形成史と釈尊の生涯②(1/2ページ)

中央学術研究所研究員 金子芳夫氏

2020年3月24日 09時23分
かねこ・よしお氏=1948年生まれ。東洋大大学院仏教学専攻後期博士課程満期修了。中央学術研究所所員、東洋大非常勤講師、佼成学園女子校教諭を経て現在、中央学術研究所研究員。専門は仏教学。著書に『新国訳大蔵経・長阿含経Ⅰ・Ⅲ』(校註分担)。

釈尊と仏弟子たちの活動地域を最も端的に物語るのが「中国」と「辺国」という言葉である。この言葉はもともとは律蔵において、出家希望者をサンガに入団させる手続き(授具足戒)として、そのサンガは10人以上の比丘によるべしと定められた地域が「中国」であり、「辺国」は10人以上の比丘を集めるのが難しいとして、その人数が5人でもよいと定められた地域である。

そして「中国」は東西南北の限りはどこそこと具体的な地名が挙げられているが、おおよそ掲載地図に国名をあげた17カ国に相当すると考えてよい。ヒマラヤ山脈とデカン高原に挟まれたヒンドスタン平原のうちのガンジス河上中流域地方のおよそ30万平方キロメートルで、インド亜大陸の330万平方キロメートルのうちの約11分の1に相当する。そしてこの外側が「辺国」である。といっても、この「辺国」には現在のパキスタンやインドの西ベンガル州、およびデカン高原はほとんど含まれていないから、「中国」をひと回り広くした程度である。

筆者担当の『原始仏教聖典の仏在処・説処一覧』(『中央学術研究所 モノグラフ篇』第2、4、5、8、15号に掲載)という資料集で明らかなように、「中国」は釈尊が実際に足を踏み入れられて説法された地域と重なり、一方の「辺国」は仏弟子の足跡が見いだせるけれども釈尊は登場されない地域である。そして、その外側は「異域」とでも呼ぶべき地域で、釈尊の教えが及んでいなかった。

これら釈尊や仏弟子たちの活動した地域があまりにも狭いことに驚かれるかもしれないが、これには釈尊教団の組織運営システムという理由がある。釈尊教団は釈尊が制定した律を遵守することでまとまった組織であるが、律の規定はサンガのなかで何か不祥事が起きた時に、その都度、対処するという形で制定された。これを「随犯随制」という。そしてこれを犯せば最も重い場合は教団追放もあり得たから、仏弟子たちは新しい規定がいつ制定されたか、いつ改訂されたかを常に知っていなければならなかった。口コミが唯一の情報伝達手段であり、徒歩が主要な交通手段であった(馬車や牛車などの乗り物に乗ることは病人を除いて禁止されていた。舟は利用できたがヒンドスタン平原を流れる河は流れが緩やかで交通手段としては徒歩より速さで劣る)。

当時にあっては、そのために年2回、雨安居の前(春の大会)と後(夏の大会)に釈尊のもとに集まり、法や律に関する情報を共有化する習慣が成立した。そして、この情報を持ち帰った仏弟子たちは、それぞれが所属するサンガにおいて月に2度ずつ行われる布薩の場で、これを徹底し確認し合うというシステムが成立した。そのため仏弟子たちは釈尊から遠く離れた所には住めず、また釈尊ご自身も中央から離れた遠隔地に赴くこともできなかった。このため「中国」と「辺国」はおのずから狭くならざるを得なかったわけである。

心肺蘇生の成功率を高めるために 森俊英氏8月7日

死戦期呼吸とは 近年、大学の新入生全員への心肺蘇生講習や、保育者および小・中・高校の教職者への心肺蘇生講習が盛んに実施されるようになりました。さらには、死戦期呼吸に関する…

同志社大所蔵「二条家即位灌頂文書」を読む 石野浩司氏7月17日

(一)即位灌頂の創始と摂関家 史実としての即位灌頂は、大嘗会「神膳供進作法」にまつわる五摂家の競合のなかで、弘安11(1288)年、二条師忠と天台座主道玄、文保元(131…

日蓮遺文の真偽論と思想史観 花野充道氏7月4日

1、研究者の思想史観 2023年の12月、山上弘道氏が『日蓮遺文解題集成』を上梓された。山上氏の永年の研究成果に基づいて、日蓮遺文を真撰・真偽未決・偽撰の3種に判別して示…

無言の“被爆伝承者” 惨禍物語る宗教施設遺構(8月6日付)

社説8月8日

英仏の安楽死法案 人間の尊厳と宗教者の役割(8月1日付)

社説8月6日

歴史が逆流していないか 憂い深まる戦後80年の夏(7月30日付)

社説8月1日
このエントリーをはてなブックマークに追加