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もう一つの宮廷文化―尼門跡寺院の信仰と歴史―(2/2ページ)

有職故実研究家 美馬弘氏

2021年9月13日 11時47分

比丘尼御所は、『源氏物語』をはじめとする王朝文学、和歌の文芸サロンの性格を有した。公家の家業となった香道も尼僧の姫宮の遊戯を兼ねた教養として、歌留多や双六、貝合わせなどとともに愛好された。歌留多には名所合わせのように、普段外出する機会も少ない姫宮たちが、各地の地理を遊びながら学ぶ側面があった。遊戯の中には、投壺という中国から伝来の壺に矢を投げ込み、数を競うものがある。正倉院御物にも同様のものが見られ、奈良朝天平時代の息吹をも伝えている。貝合わせは、本来姫君たちの花嫁道具として調進された。蛤は同一の物が二つと無いことから、トランプの神経衰弱のように片方を探し当てる遊戯である。源氏物語の場面や草花などの絵が蛤の貝殻の裏面に金泥と彩色を施し描かれている。

宮中では御所人形を新宮に賜る風習があった。宝鏡寺や霊鑑寺は人形寺と呼ばれるほど多数の人形が御遺物として伝わる。その姿も赤子のような大きいものから、豆粒大の小さいものまで多様である。その装束は、有職を踏まえたミニチュアで、趣向が凝らされ目を見張るものがある。尼僧は、黒衣が常用の衣服であり、栗色法衣や紫衣が許されたのは近世のことであった。墨染の衣を着用する尼宮たちの目を楽しませるように、人形たちがまとう衣は様々な色彩の刺繍が施されている。

また、比丘尼御所は先帝や后妃などの追善の場でもあった。大聖寺や宝鏡寺、霊鑑寺には歴代天皇や后妃の下賜品や御遺物が数多く伝えられている。

大聖寺は明治天皇の皇后昭憲皇太后の大礼服や香合、明治天皇皇女周宮房子内親王御料の小袖を仕立て直した折敷、愛玩の人形など、近代の皇室の女性たち所縁の品を拝領した。孝明天皇から昭和天皇までの尊牌供養も行われている。

比丘尼御所の建物も皇室と縁が深い。生活空間の書院を御所から下賜されることが、比丘尼御所では多く、御所の生活様式を直接受け継いだといえよう。三時知恩寺の本堂は天明8(1788)年の大火の後、後桃園天皇の生母恭礼門院富子の旧女院御所を移築したものである。光照院の集会場は昭和の御大典の饗宴会場を下賜され、中宮寺の現在の本堂は高松宮喜久子妃(1911~2004)の発願で寄進を募り、面目を一新した。

旧比丘尼御所には宮中の女房たちが使用した御所言葉が残り、皇后や宮妃、女官との書簡の遣り取り、日常の挨拶もこの御所言葉を交えた女房奉書の書式で行われていた。それは、宮中の習慣と言葉遣いが保たれた「小宮廷」であった。宮廷文化は女性が支えたものといわれる。戦国の動乱期に比丘尼御所で受け継がれた宮廷の美術や文学は、近世になって日の目を見る。霊鑑寺などに伝わる和歌史料などは、比丘尼御所の寺主たちもまた宮廷文学の担い手であったことを物語っている。

明治という近代は近世までの公家の家業を否定し、皇室の生活様式も近代化や西欧化が進められた。明治維新の後、神仏分離令で神仏習合が廃された。廃仏毀釈による仏像などの破壊は、よく知られている。皇族の出家は同時期に禁止され、男僧の門跡の法親王は、年齢に拘わらず全て還俗となった。

ところが比丘尼御所の文秀女王は、伏見宮に復籍したが法体を許された。文秀女王の姉妹、善光寺大本願の誓圓尼(姉)と瑞龍寺寺主の日栄尼(妹)は、還俗を拒否して、公家の久我家と九条家に入籍し、皇族の身分を離れてまで尼僧でいることを選んだ。

比丘尼御所では近世までの宮廷文化が仏教の信仰と複雑に絡み合いながら、伝えられたのである。

中世以来の宮廷文化を伝えてきた尼門跡も、戦後になって皇室の御手許金が制限されたことから、経済的な援助を失った。さらに、旧公家華族や旧大名華族という由緒ある家から後継者を探すことが困難な情況となり、瑞龍寺が男僧の寺院となるなど変容を余儀なくされている。

近年の尼門跡への注目は女性史の観点からのみならず、日本の仏教史・文化史など学際的な観点から再評価がなされた。パトリシア・フィスター国際日本文化研究センター名誉教授やバーバラ・ルーシュ中世日本研究所女性仏教文化史研究センター名誉所長(コロンビア大名誉教授)の尼門跡寺院研究の業績が顕著である。またバーバラ氏と親交深い上皇后美智子さまからの支援は、尼門跡研究に新たな展望への端緒を開いたのである。

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