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もう一つの宮廷文化―尼門跡寺院の信仰と歴史―(1/2ページ)

有職故実研究家 美馬弘氏

2021年9月13日 11時47分
みま・ひろし氏=1972年生まれ。徳島県出身。京都府立大大学院文学研究科博士前期課程修了。専門は日本中世史、有職故実。京都府立大京都和食文化研究センター研究会メンバーとして研究活動に従事。論文に「真宗准門跡の婚姻と養子縁組」(民衆宗教史研究会『寺社と民衆』第6号所収)など。

尼門跡寺院とは、比丘尼御所と呼ばれた近世に皇女や宮家の王女、公家の息女が寺主を務めた尼寺である。この比丘尼御所には、皇女が寺主を務める御宮室と公家の息女が寺主となる御禅室がある。御宮室は臨済宗単立大聖寺(京都市上京区)・臨済宗単立宝鏡寺(同区)など8カ寺。御禅室は浄土宗特別寺院三時知恩寺(同区)・光明宗法華寺(奈良市)などの7カ寺である。

宮家の王女は、御宮室・御禅室のいずれも入寺出来るが、御宮室に入る時は天皇の養女、御禅室の時は所縁の摂関家の養女や猶子となるのを通例とした。御宮室の中でも大聖寺・宝鏡寺・曇華院・光照院の4寺院は、「皇女だけが御座りになる」ことから四箇寺と称されたと、五摂家の一つ一条家に仕えた下橋敬長は語っている(「下橋敬長談話筆記」)。

これら比丘尼御所は皇室との縁も深い。御宮室の中宮寺は、聖徳太子の母后穴穂部間人皇女の御願により創建という比丘尼御所の中でも頭抜けて古い歴史を誇り、御禅室の法華寺はこれも光明皇后による総国分尼寺と、いずれも天皇家の女性たちと仏教の関わりを今に伝えている。法華寺には、鎌倉時代に後深草天皇の皇女が入り、それ以後も皇女や足利将軍家の姫が入室した。南北朝の動乱期には皇女の内親王宣下は途絶した。天皇の後宮から正式の后妃は不在となり、厳しい時代が続いた。

比丘尼御所に臨済宗の寺院が多いのは、足利将軍家が臨済宗に帰依したことと、五山制度に倣った尼五山があることによる。慈受院・総持院は足利義持の御台所日野栄子の創建になる。京の尼五山筆頭の景愛寺の子院であったのが大聖寺と宝鏡寺、五位の通玄寺の子院が曇華院である。その後も足利将軍家の息女らが住持となるなど将軍家から手厚い保護を受けた。

この他にも安禅寺・保安寺・真乗寺・鳴滝十地院など皇女や宮家の王女が入室した尼寺が多数あったことが知られている。伏見宮家の王女たちなどがいずれも幼年で出家して尼僧となり、これらの尼寺に入っている。

安禅寺や真乗寺に入った尼僧皇女たちは、宮中との交流も頻繁であった。室町時代の公家三条西実隆の日記には、後花園天皇の皇女が住持となった安禅寺に参詣したとある。尼僧となった皇女・王女、そして足利将軍家の姫君などが住持する比丘尼御所では、中流公家の息女たちが彼女たちに仕える尼僧となった。それは、御所文化が暮らしの中に息づく、文字通りの比丘尼御所の姿であった。

織豊政権を経て、徳川幕府の世になると、宮廷生活も経済的な安定を得て復興した。特に、2代将軍徳川秀忠の五女和子が後水尾天皇の中宮(皇后)となったことで、幕府からの多大な財政支援が朝廷にもたらされた。中世後期から近世初めの後陽成・後水尾・後西・霊元の諸天皇には、庶出の皇女も多く誕生した。この数多い皇女たちは、幼年で出家して比丘尼御所へと入った。皇女らは誕生から節目ごとに「髪置」「御色直」「深曽木」などの通過儀礼を経て、喝食となり得度剃髪し、寺主となる。

近世後期になると、比丘尼御所は相次いで無住となり、幕末の慶応年間に無住でない御宮室は、霊鑑寺と圓照寺のみであった。この圓照寺寺主であった伏見宮文秀女王が大正15(1926)年2月に薨去して、鎌倉時代以来の尼僧の皇女・王女の歴史は幕を閉じた。

さて、これら比丘尼御所の本尊は観音菩薩像が多い。本尊観音菩薩を前に懺悔の法会である観音懺法も盛んに行われ、比丘尼御所の尼僧皇女が導師を勤めた。三時知恩寺に伝わる後西天皇から拝領の琥珀数珠は文字通りの宝玉の数珠だ。同法会の重儀をより高め、荘厳したことであろう。

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