被爆者が語る実相 悲惨であっても直視を(8月20日付)
被爆80年の広島で、原爆によって伽藍が壊滅し、親族や檀家も数多く犠牲になった寺で小中学生にも惨禍を語り伝える住職の言葉が衝撃だった。伝承の場で中には気分が悪くなったと訴える子供がおり、病院に行ったケースもあるので残酷な話をしないでほしいとの空気が教育の場にあるというのだ。以前から小学生以上にしっかり平和教育をしてきた広島においてさえ、と住職は懸念を訴えた。
この6日、同市の国際会議場で行われた被爆者新井俊一郎さんらの体験講話は非常に具体的かつリアルだった。熱線で焼き殺され、爆風で体が損傷した何千人もの人々の遺体が川に浮かぶ光景、全身をやけどし皮膚が剥がれて「水をくれ」とうめきながらさまよう大人や子供たちの様子などが、証言をもとにした手描きの絵などで説明される。
大量無差別殺戮という核兵器の想像を絶する残酷さが赤裸々に提示され、今年94歳で全身にがんを抱える新井さんは、自らが広島の「最後の被爆者」になるであろうという思いから「今日聞いた原爆の実相をぜひ、周囲の人々に伝えてほしい」と繰り返し訴えた。
質疑応答で市内の私立中学の社会科教諭の男性が、授業で原爆を教える際に生々しい被害描写の絵画などを教材として使おうとすると、管理職から「残酷過ぎるから」と止められたという。「一体どうすれば」との問いに、新井さんは即答した。
「どんなに残酷でも示すべきです。気分が悪くなるかもしれないが、それが現実なのです。戦争や原爆の恐ろしさから目をそらしてはいけない。それを知らないことが、戦争を容認する動きにつながるのですから。核保有国の指導者も、もし残酷な実相を知ったら使用をためらうかもしれません」と。会場を埋めた百数十人の聴衆から拍手が湧き起こり、男性教諭は深くうなずいた。
被爆者の証言を基に原爆投下当時を再現した動画の視聴体験会もあり、バーチャルリアリティーで描写された状況は凄惨そのものだった。顔を背けたくなるような悲惨な場面、それは紛れもなく実際に起こったことなのであり、被爆者たちが強調するように、視聴者のケアをした上で真正面から見るべきものだ。
現実に戦争が起きれば、見るのをやめておくわけにはいかず気分が悪くなるどころではない。「直視」は二度と戦争をさせないため、その戦争のリアルを理解するためなのだから。悲惨さを覆い隠し、歴史をなかったことにしようとするような動きがある中では特に。