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僧坊の酒宴 ― 精進と酔狂の室町人たち(2/2ページ)

明星大准教授 芳澤元氏

2022年2月14日 09時17分

儀礼や規則のなかに宴や酒を定めた寺院では、僧坊酒の需要もおのずと高まった。寺僧による自家醸造――僧坊酒は、河内金剛寺、奈良正暦寺、近江百済寺の名酒がよく知られる。濁酒だけではなく、正暦寺では清酒の製法「諸白づくり」も発明された。これらブランド銘柄以外にも、東福寺や大徳寺など禅院でも醸造は行われ、仏事終了後の慰労を目的としてあらかじめ用意した。

仏事を勤めあげた功労者には酒が振る舞われ、他方、集会や儀礼をサボった者には酒代の負担が強いられた。つまり、仏事や集会の秩序を守るために、却って五戒に違反する酒を利用したわけである。半ば酒飲みのご都合主義にもみえるが、本業をないがしろにしない態度でもある。まさに“清濁あわせ飲む”中世寺院の性格ではあるまいか。

将軍も許容した仏事の打ち上げ

そして足利将軍は僧坊の酒宴に前向きだった。永和4(1378)年に禁中で五壇法が修された際は、朝廷は勤仕の僧侶に禁酒を命じたが、五壇あるうちの中壇を務めた僧侶には、室町幕府が酒肴を贈っている(『門葉記』)。これが足利将軍主催の仏事になると、禅僧が仏事後に「不飲酒戒を破す」と告げ、精進解(ほど)きとしたように、さらに緩かった。

もちろん仏事の期間中には、俗人も僧侶も、自らに持斎断酒を課した。なかには、足利義持のように厳格な禁酒令を出す足利将軍もいた。応永27(1420)年、国宝「瓢鮎図」にも賛を残して学才を誇った禅僧玉畹梵芳は、飲酒したことが義持にバレて逆鱗にふれ、逐電してしまった(『看聞日記』)。義持の禁酒令は、当時の飢饉対策ともいわれ、その取り締まりは厳しかったが、これは例外的なものだろう。

仏事という一定の期間に不飲酒戒を守るということは、裏返せば、それ以外のほとんどの時間は、飲酒や宴が当たり前だったということである。公家の三条西実隆などは、「断酒、夜に入り堕落。慚愧なし」と述べるほど、勤行期間中に断酒を破っても、意に介した様子はまったくない(『実隆公記』)。

僧坊酒が広まるのも、こうした仏事後のお楽しみと密接な因果関係があるのだろう。京都五山でも、僧坊酒が足りないときは、近所の酒屋で買い足しているから、室町幕府の収入源である酒屋にとっても邪魔にはならなかった。

中世の断酒は、禁欲主義の現れといわれることがあるが、そうとばかりもいえまい。室町時代、越後国(新潟県)の米山薬師から京都に届いた「断物日記」は、毎月決まった日に、特定の酒食を断てば、数百日・千日単位の無病息災があると考えられていた。戦国時代には、食い合わせに関する民間習俗もあり、現世利益の効能が期待されてのことだろう。ちなみに「断物日記」では10月の断酒だけで、なんと5千日も無病とされているから驚きだ。

喫茶だけではない寺院の室町文化

このように、中世寺社には喫茶だけではない、酒の生産・消費という文化もあった。

酒と茶の文化は、ときに相克した。日本では古来、接客時の飲料は、酒が第一とされた。鎌倉末期、日蓮の門弟である日興は、仏事の際には「唐土の礼」である茶湯よりも、「日本の風俗」に見合った酒をもって「仏法の志」を表すのだと説く(『日向中原文書』)。唐様の茶の流行への反動というかたちで、茶礼よりも酒を選ぶという点は興味深いが、日本でも戦国時代に登場した『酒茶論』ともつながりそうな発想である。

ところで、文明19(1487)年2月、足利義政が自らの逆修仏事を開催し、禅僧たちと断酒に入った際のことである。慈照寺銀閣の東求堂の名付け親としても知られる横川景三が、しびれを切らしてか、せっかく梅花が見事なのに酒が飲めない状況を「真に殺風景なり」と漏らし、一同は呵々と大笑した。

これには裏があり、『枕草子』にも影響を与えた唐の詩人である李商隠『雑纂』にみえる、「花に対し茶を啜る」という名句をふまえた一言だった。横川景三のファインプレーが功を奏してか、結局この日の晩は、酒も茶も振る舞われ、それを聞いた義政も、ただただ微笑んで認めたのである(『蔭凉軒日録』)。

こうしてみると、義政の笑いも、快活なユーモアにあふれた室町社会の雰囲気に誘われたもの、と見たほうがよさそうである。昔の僧侶は茶を啜ってばかりの生活という印象にあまりこだわると、室町人から「殺風景!」と笑われてしまうことだろう。

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