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宗教文化講座 翠雲堂

宗教と公共性 ― 「善き生」実現へ積極的に議論を(1/2ページ)

千葉大大学院人文社会科学研究科教授 小林正弥氏

2014年2月6日
こばやし・まさや氏=1963年生まれ。東京大法学部卒。同大法学部助手、千葉大法経学部助手・助教授、同大教授、ケンブリッジ大社会政治学部客員研究員及びセルウィン・コレッジ準フェローを経て現職。専門は政治哲学、公共哲学、比較政治。ハーバード大のマイケル・サンデル教授と交流が深く、NHK「ハーバード白熱教室」では解説も務めた。著書に『サンデルの政治哲学―〈正義〉とは何か』(平凡社新書)など多数。
政治哲学と宗教

ハーバード大学の政治哲学者マイケル・サンデル教授のハーバード白熱教室が注目を浴びてから、その番組の解説などを行った筆者のもとには、宗教界からも要請があって対話型講義を宗教的テーマについても行うようになった。そして、2013年の秋には、浄土真宗本願寺派総合研究所主催の公開講座「宗教と公共性――自他共に心豊かに生きることのできる社会の実現にむけて」や「本願寺白熱対談」(9月12日)、白熱教室in建長寺「宗教はどう社会に貢献できるか?――宗教と公共性」(10月9日)というように、続けて「宗教と公共性」というテーマで講演や対話型講義を行った。

公益法人化の可否、原発問題や憲法問題などの問題が浮上しているので宗教界にもこのようなテーマに関心をもつ人が増加しているのであろう。また、東日本大震災などにおけるボランティア活動も公共的な活動として非常に重要であり、上述の対話型講義ではこれに関するモラル・ジレンマも詳しく議論した。そこで、以下では公共性についての基本的な考え方を説明し、宗教との関連について述べてみよう。

政治哲学で主流派であるリベラリズムなどの世俗的な考え方では、個々人の自由な選択が重視されており、宗教は私的領域の問題とされて、公共的領域における政策には関連すべきではないとされてきた。なぜなら、今日の世界は、中世までとは違って世界観・価値観が多様化し、ある一つの考え方に基づいて公共的な正義や政策を考えることは、別の考え方を抑圧する危険があると考えられたからである。そこで、このような思想においては、皆が価値観の相違を超えて合意できるのは権利だけと考えられるから、事実上、正義は権利と同義語となる。この場合、信教の自由は権利として擁護されるが、宗教的発想は政策に影響を与えるべきではないとされる。このような観点からすれば、宗教的観点から政治や政策に対して積極的に発言することはむしろ危険と考えられるので、宗教者はそのようなことはしない方がよいという消極的な姿勢が生まれやすい。

これに対して、サンデル教授や筆者などはコミュニタリアニズム(共同体主義)という思想に分類されるが、この思想においては、道徳・倫理・宗教に関わるような「善き生」についての考え方や美徳が重視され、さらに人びとが共に考えて行動することが重視されている。この観点からすると、宗教などの価値観・世界観に関わる考え方は公共的問題とは分離することはできない。なぜなら、福祉や生命倫理、平和・環境などの問題を考えてみればわかるように、これらに関する政策を「権利」の概念だけで決めることは不可能だからである。だから、公共的領域においても価値観・世界観に関する「善き生」についての考え方との関連を意織しながら、公共的な正義や政策について議論することが必要である。

このような観点からすれば、宗教的観点から政治や政策について積極的に発言することは、公共的議論を活性化して、より良い政策を実現するためには、宗教的観点からの発言も積極的になされる方が望ましいということになる。

公共性とは何か?

それでは、「公共性」とはどのようなものなのだろうか? これまで日本では、「公」と「公共」とは同じような意味で使われることも多かった。ただ、「公」という概念は「公家」「公儀」などを考えてみればわかるように、歴史的に国家や権力・官僚と関係が深い。これに対して、西洋におけるパブリック(public)には、「政府」に関わる意味もあるが、the public(公衆)を考えてみればわかるように、「人びと」という意味も強い。

だから、筆者の関わった日本の公共哲学プロジェクトでは、「公」と「公共」を使い分けて、前者は国家や官などの「お上」に関する垂直的な意味であるのに対して、後者は「民の公共」というように人びとが共に考えたり行ったりする水平的な意味として用いようと提案した。後者に関しては、日本では阪神・淡路大震災や東日本大震災などで注目されるようになったNPO・NGOがその担い手として注目された。

公共性は、共同性とは違うという見解もある。日本の古い封建的ないし前近代的共同体では共同性を重視するあまり、価値観・世界観や意見の違う人を排除して同一化を強制しがちであったという問題点があるからである。確かに、私たちが今日実現をめざすべき社会においては異質性や多様性を尊重すべきなので、その公共性は同一化を強制するような共同性とは異なる。ただし、他方で多様性や異質性を尊重しつつも、コミュニティにおける共通の善の実現を目指すという点では共通性も重視する。だから、理想とすべき公共性とは、多様性・異質性と共通性・共同性という双方の側面を持ち、多様性の中において共通性を実現しようとするのである。この共通善は、異質性・多様性の尊重という側面をあらわすために、「公共善」といってもいいだろう。

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