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原発事故被災地寺院の現状と将来 ― “旧地帰還の願い”阻む厚い壁(2/2ページ)

大正大元学長 星野英紀氏

2014年3月11日

お寺の将来像は檀家の思いと大いに関係する。檀家はお寺にどうして貰いたいか。その前に、まずは自分たちは元地に帰りたいのか、帰りたくないのか、帰りたいけれど帰れないのか。アンケートを見てみよう。

アンケート実施は2カ寺で、合計958世帯の檀家である。有効回答数合計573であった。実施寺院のうち1カ寺は浪江町中央部分にあるB寺であり、もう1カ寺は津島地区U寺である。B寺のアンケートは12年12月末から13年1月末までに回答して貰った。U寺の場合は13年10月1日~11月15日の間に回答して貰った。

B寺の檀信徒で「旧地に戻る気がない」と回答した人は30・3%である。それに対して山間のU寺の場合は47・9%であった。U寺の場合ほぼ半分が旧地帰還をあきらめている。

2寺院間のアンケート実施の間には9カ月ほどのタイムラグがある。この間に先述した警戒区域の再編成が行われた。このタイムラグはアンケート結果に大きな影響を持っている。先述の通り、この再編成によって津島地区は、原発からはもっとも遠い地区にもかかわらずもっとも復旧が遅い「帰還困難区域」に指定され、最低5年間は元地への復帰はないことになったからである。この再編は「戻らない」決断をさらに促したに違いない。

若い層はかなりの数がすでに仕事を持って中通り、いわき市など、さらには福島県外に住宅を持っている。子供たちは現居住地の学校生活をすでに2年以上経験している。仕事もなく放射線量の問題もある旧地(ふるさと)には帰れない、あるいは帰りにくい状況が出来上がりつつある。「避難指示解除準備区域」の海岸地域、「居住制限区域」となった中央の平野部でも、仮にインフラが整備されたとしても仕事はないし線量への不安はあるしで、若者は旧地帰還に二の足を踏む。

こうした中で帰りたいと強く願うのは年金受給者である老年層である。自分が育った実家に帰り、都市では望むべくもない広い屋敷に住み、家庭菜園には十分な広さの田畑があり、幼なじみの同世代の近隣住民と老後を穏やかに暮らしていたわけだし、死ぬまでそうした生活を続けたかった。先祖の里への感情移入は極めて強い。それはアンケート調査にもはっきり表れている。アンケート回答者の平均像は、老年層の男性といえる。

「帰るつもりである」人はB寺の場合は3分の2、U寺の場合は半数強となる。ただし帰るつもりであっても何が何でも今すぐ帰るというのではない。帰還条件を聞いてみるとB寺では「インフラが整ったら」「除染が整ったら」が多く、U寺の場合はそれに加えて「避難区域指定が解除されたら」が同じように多い。「戻る気がない」人もその理由は「除染が困難だと思うから」「原発事故の収束が期待できないから」が多い。

つまり「戻るつもり」の人々の戻る条件も「戻る気がない」という人々の理由も、ほぼ同一といっていい。除染がなされ原発事故の収束にめどがつき、区域指定が解除されインフラが整備されれば、かなりの人々が帰りたいと思っていると考えていいのではないか。あとは若年層にとっての仕事の創出である。

表2は「〈戻りたい〉という気持ちがある場合、それはどのような理由か」をB寺檀家に問うた結果である。もっとも多いのは「先祖代々の土地・家・墓があるから」であった。ついで「暮らしてきた町に愛着があるから」が続く。この二つが上位なのは8カ月後の調査であったU寺も変わらなかった。

さらに「いずれは菩提寺(B寺とU寺)には元の場所で活動してほしいか」という問いを聞いてみた。その結果が表3である。

さきに紹介したが、B寺の場合自分自身が「戻りたい」とした人が69・7%、U寺の場合は53・9%であった。B寺の場合は8・5%が、U寺の場合には11・7%が、「自分は戻らなくても寺には戻ってもらいたい」という気持ちである。

つまり自分は帰らない、しかし寺には元地へあってほしいという、この矛盾をどのように考えたらよいのか。別掲したアンケートの「自由記述欄」には、住職への感謝と信頼そして激励の言葉が驚くほど記されている。先祖、墓、菩提寺は〈ふるさと〉を象徴する存在なのではないかと私は考えている。だからこそ菩提寺には〈ふるさと〉にあってほしいものであり、自分は帰れなくとも菩提寺は〈ふるさと〉というランドスケープ(景観)に存在していてほしいものなのではなかろうか。

〈仏縁〉ではなく〈寺縁〉という表現がよりふさわしいと思う。人々の寺への思いは、伽藍、墓地、僧侶というような形象的、具象的イメージで構成されていると感ずるからである。強いふるさと志向の重要構成要素として菩提寺があるのだろう。

今後、被災地寺院はどのようになるのか。この問いは非常に答えにくい。確実なことは寺によって事情が異なるということである。

「避難指示解除準備区域」にあるMA寺は古刹である。相馬家とのつながりも強く文化財も多い。数年内には避難区域解除の可能性もあり、ここでの再興、再起を図るのではなかろうか。「居住制限区域」のB寺は悩ましいところではあるが、やはりここでの再興、再起を目指すのではなかろうか。

「帰還困難区域」にあるU寺の場合は、復帰、再興には現実にはかなりの年数がかかりそうである。U寺住職は福島市に「仮の寺」を設ける予定であると聞く。そこでしばらくの間忍従しつつ帰還を図るということであろうか。このように被災地の同一町内でも、まさに寺それぞれである。一律の結論は無い。

次世代が生活の場として旧地へ戻るかどうかは分からない。しかし老年の親世代が旧地帰還への強い思いを持っていたことは承知しているので、かりに親世代没後でも、車で1時間以内ぐらいで訪ねることのできる旧地の墓地や菩提寺への関係は継続するのではないかと思う。

ユダヤ人は2000年以上前に故郷を離れ散り散りになった。しかし各地で迫害に遭い、19世紀ごろから次第にシオニズムの影響もありパレスチナに戻ってきた。それがイスラエル建国の基盤の一つになった。若い人も被災地域周辺のいわき市、福島市、郡山市などに住む場合が多い現状を見ると、最後は故郷に戻ったユダヤ人の姿と、戻ることを願いつつ被災地近隣の市町村に住む被災避難民の姿が重なりあって見えるのは私の妄想であろうか。

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