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第22回「涙骨賞」を募集
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謎の学僧 迦才の思想 ― 凡夫往生の意義を模索(1/2ページ)

浄土宗総合研究所嘱託研究員 工藤量導氏

2014年12月19日
くどう・りょうどう氏=1980年生まれ。大正大大学院仏教学部仏教学科博士後期課程修了(博士・仏教学)。専門は中国隋唐代の浄土教思想。著書『迦才「浄土論」と中国浄土教―凡夫化土往生説の思想形成―』(法藏館、2013年)で、浄土宗学術賞受賞。現在、浄土宗総合研究所嘱託研究員、大正大綜合仏教研究所研究員、浄土宗本覚寺(青森県今別町)副住職。
1.存在感を失った迦才

迦才(かざい)は7世紀半ば唐初期に活躍した浄土教の学僧である。僧伝資料がなく伝歴は不明だが、浄土教に帰依する以前は、当時長安で隆盛をほこった摂論学派(主として『摂大乗論』を研究するグループ)において学んだとみられる。著書である『浄土論』は、日本の南都や叡山の浄土教では重用されていたが、法然が中国浄土五祖(曇鸞・道綽・善導・懐感・少康)を定めて以後、その系譜から外れた迦才は近代に至るまで注目を失うことになる。同時期に活躍した道綽、善導に比べれば、迦才はマイナーな存在であった。

確かに後世における日本浄土教の展開を考慮すれば、法然が全面的に帰依した善導の及ぼした影響力は計り知れない。その一方で善導の「古今楷定(旧来の理解をすべてあらためる)」に代表される一連の学説は、通説への批判を基調とする性格上、実のところ隋唐代でも極めてラディカルな思想であり、ゆえに当時の仏教界において主流であったとは言いがたい。法然が格別に注目したのはその強すぎる独自性の裏返しでもある。

それに対して、迦才の思想は折衷的な教説の多いことが特色の一つとされ、同時にそれが消極的な評価を受ける理由でもあった。ただし、それは同時代の諸学派の教説や批判を強く意識しながらも、反駁というよりはむしろ懐柔的な性格をもって論述されていたことに起因する。視点をかえれば、折衷的・懐柔的とされてきた迦才の思想こそ、当時の標準的な学説に肉薄するものといえる。

2.『浄土論』執筆の背景

迦才の人物像を考えるとき、居住したとされる長安の弘法寺という環境は見逃せない。この寺院は三論宗の吉蔵や『法苑珠林』を著した道世、訳経僧の嘉尚にも住歴があり、さらに華厳宗の智儼も周辺にいたようで、学問寺院としての色彩が濃厚であった。『浄土論』はこの寺院に出入りする学僧たちに向けて、阿弥陀仏信仰の正当性をアピールするために著されたと考えられる。地論・摂論・華厳・三論の諸学派との議論の痕跡を豊富に残し、かつ旧訳から新訳経論への転換期の直前に位置する『浄土論』の資料的性格は大変に希少なものである。

なお、従来は迦才が道綽の弟子であるとの推定が無批判に強調されてきたが、その根拠は歴史・思想の両面において薄弱である。迦才は長安仏教の学問水準から、道綽『安楽集』の経論引用の粗雑さに対して批判的な態度を示しており、末法凡夫説や本願説など、いくつかの学説を除けば思想的な立場が一致するとはいえない。むしろ共有している議論のフェーズは、吉蔵や道世あるいは摂論学派をはじめとする長安仏教と同調しており、その特色は「摂論系浄土教者」といって差し支えのないほどである。

3.過小評価される迦才の学説

迦才の思想的立場を端的に示したのが凡夫の化土往生説であり、これは道綽や善導が提唱する凡夫の報土往生説(=凡入報土説)と立場をまったく異にする。つまり、凡夫が分相応な低いランクの化土に往くか、それとも阿弥陀仏の本願力によって高いランクの報土に引き上げられるのか、という浄土教の根幹そのものに関わる最重要課題である。さらに『無量寿経』の第十八願にもとづく本願念仏説を重視しないことなども含め、日本浄土教の淵源となる学説と乖離した内容がみられることから、迦才は宗派学の中では道綽から「後退」した、あるいは善導と比して「不徹底」「過渡的」との評価が通説とされてきた。つまり、従来の研究視点は、凡夫の報土往生を“是”とし、凡夫の化土往生を“否”とする一面的な見方が固定的であった。

さらに大きな問題は、浄土教を主たる信条としない学僧である地論宗の慧遠や吉蔵などの化土往生説と、迦才のそれが一緒くたにされてきたこと。迦才の化土往生説は、道綽・善導の報土往生説との対立的な比較ではなく、隋唐代の思想史的な文脈を俯瞰する中でとらえてはじめてその意義が明らかになる。つまり、「慧遠・吉蔵・迦才の化土往生VS道綽・善導の報土往生」ではなく、「慧遠→吉蔵→道綽→摂論学派→迦才→善導」という見方。無論、慧遠の時代から一足飛びに善導の思想が立ち現れることは決してなく、そこにいたるまでの議論の蓄積や翻訳経論の受容などを一つ一つふまえた思想史の把握が必要となる。

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