「希望の牧場」の訴え 牛飼いとしていのち守る(7月25日付)
福島県浪江町にある「希望の牧場」をご存じだろうか。その代表、畜産農家の吉澤正巳さんは、東京電力福島第1原発の事故による放射能汚染で被曝した多数の飼い牛の殺処分を命じた国に抵抗し、現在も150頭を飼い続ける。原発を生み出し、今また推進する経済優先の論理に、「いのち」を対峙して抗う姿は書物や絵本、テレビドラマやNHKの宗教番組でも紹介され、共感を広げている。
被曝で売却は禁止され、「金にならない牛をなぜ飼うのかと言われる。でも、金になるならないじゃなく、無意味ないのちなんてない。牛たちは事故の生き証人。それを邪魔だから殺せと言うのか。いのちに酷い扱いをしないのが人間だ。国の言うことは聞かん」。「べこ屋(牛飼い)」を名乗る吉澤さんにとって牛は人生の仲間だ。
収益はなく、経営は全国からの資金や餌などの支援で成り立っている。日々の作業も趣旨に共鳴した各地のボランティアが支え、それに報いるためにも頑張る。「いのちを邪魔者扱いして酷いことをする、それは津久井やまゆり園事件も牛たちも同じ。福島の被曝者も同じ目に遭っている」と指摘し、それに抗い、邪魔にされた牛が生き続ける場が、生きていくのに疲れた多くの人にも癒やしになっているのかもしれないと感じている。
事故直後、殺処分や飼い主の避難による餓死で多数の牛が死に、ミイラや骨になった姿が目に焼き付いているのが“原点”。同じ苦悩で被災地の酪農家はほとんどが廃業に追い込まれ、自死者も出た。東電や国に直接抗議にも赴いた。
元々は食肉を得るのが畜産の目的だ。だが、人間は他の生き物のいのちを食べて生きているという自覚を抱く多くの人々と同様、仲間である牛をありがたく頂けるよう、立派になるようにとの願いで大事に育ててきた誇りがある。
講演は学校も含め全国各地、フランスやインドなど海外も合わせて200カ所に上る。ドイツからは脱原発団体が牧場の見学に訪れた。恒例の東京での街頭アピールでは、電力の大消費地の“繁栄”が福島の犠牲の上成り立っている事実を訴え、大きな反響がある。
第1原発近くの河口で魚の蓄積放射能測定を研究者らと続け、「国策で人命が蹂躙されるのは戦争も同じ」と平和の訴えにも尽力する。いのちの重みを説く姿が伝道者のようでさえある吉澤さんは、宗教者にも期待を寄せる。「震災でも被災者に寄り添ってくれた。本来の役目として正面からいのちに向き合い、それを尊ぶような世の中にするために、広く力を合わせて行動してほしい」と。