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「終活」真の相談相手とは ― 死生観に向き合う宗教者こそ(2/2ページ)

葬送問題ライター 奥山晶子氏

2016年6月22日

そこで0葬プランを立ち上げた葬儀社もある。遺骨の受け取りについては葬儀社が火葬場と交渉し、もしどうしても受け取らざるを得ない場合は葬儀社が引き取り、後日に散骨や合同墓へ埋葬するなど、事前に依頼主が選んでおいた葬法で弔う。いったん遺骨を持ち帰るのだから、厳密には0葬といえないが、火葬後は一切遺骨と関わることのない依頼主から見れば0葬である。驚いたことに、この0葬プランをフルに活用すれば遺体と対面する必要すらなくなってしまう。病院へのお迎えから火葬場への移動、火葬後の遺骨引き取りまで葬儀社が全て代行するからだ。もちろん、完全な0葬プランを選ぶ人は、かなり複雑な家庭事情を抱えているとか、会ったこともないような遠い親戚の引き取りを任されたとか、だいぶ特殊なケースに限られると信じたい。

すでに墓についてかなり勉強し、散骨を選び取った人が「0葬」に示す反応は様々だが、0葬のほうがよりさっぱりしていると魅力を感じる人、自由な葬法が増えて喜ばしいとする人が多い。散骨を選んだことで「違法ではないのか」「骨を捨てるなんて乱暴だ」などと言われ続けた悲しい過去を持つため、新顔の葬法も尊重すべきと考えるのだ。しかし中には「遺骨を捨て置くなんて」と強く反発する人もいる(散骨賛成論者の中に、である)。考え方に対して気持ちを示すだけならいいのだが、度が過ぎると少数派いじめの連鎖が行われているようで寂しい。

ただ感じるのは、散骨にせよ0葬にせよ、その支持者は逆説的に墓にこだわりを持ち、遺骨に執着しているということだ。自らの葬られ方にこだわり、遺骨の扱いにこだわるそのあり方から、「墓はいらない」と「強く」主張する。「私の墓? 何でもいい、あってもなくてもどうでもいい、残る人が決めてくれれば」という態度のほうが、0葬と呼ぶのにふさわしいのではと思うほどだ。

死生観真剣に考え

葬儀社や墓苑など業界の人たちと接したり、「終活」に興味のある人たちと交流したりするのが仕事だから、身近に葬儀や墓の話題がある環境にどっぷりつかってしまっている。だから街頭取材で不特定多数の人に声をかけると、葬儀や墓や宗教に興味がない人のほうが「多数派」なのだと知り、ハッとする。墓参り中に声をかけているのに、菩提寺の名前や宗派すら覚えていない人がいるほどだ。しかし、それが普通なのだ。何かよく分からないけれど墓参りの形だけは守るという態度も、信仰の尊い姿のひとつだと思うので、責める気にはならない。

終活ブームにより、「戒名いらない」「墓いらない」「散骨したい」などという相談が増え、困惑している宗教者も多いと思う。しかし、そんな相談を持ち掛けてくれる人こそ、死生観について真剣に考えている。真っ向から信仰を説くのに、よりふさわしい存在だといえるのではないだろうか。信仰を否定しているのではなく、むしろ自分自身の信念を打ち明けに来てくれているのだから。

もちろん、そういった相談に真剣に対応してくれている宗教者がほとんどだろう。しかし、世間のイメージは違う。よく知っているはずの菩提寺の住職ではなく、全く面識のない葬儀研究者にメールで相談してくるのはなぜか。代々墓を守ってくれている住職には切り出しづらい、失礼のない相談の仕方はないものかと、見も知らぬ者を頼ってくるのだ。

こういった、真に死生観と向き合っている人たちがダイレクトに相談できる存在に、宗教者がなり得る方法はないものだろうか。葬儀社や墓石関係者や私のような存在は、選択肢を提示することしかできない。精神的な部分は専門外でお手上げだし、相談者が求めているのは、どうやら選択肢を知ることではないらしいと気づいたのだ。彼らは、墓という問題が持ち上がったとき、どっしりした死生観が自分の中に存在していなかったことに戸惑い、混乱した気持ちを静めるために「葬式はいらない」「墓はいらない」と言っている。それは単にスッキリしたいからであって、根本的な解決にはなっていない。そして根本的に解決させるための力は、私は持ち合わせていない。その力を持っているのは、宗教者たちである。

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