PR
購読試読
中外日報社ロゴ 中外日報社ロゴ
宗教と文化の専門新聞 創刊1897年
第22回「涙骨賞」を募集
PR
第22回「涙骨賞」を募集

『一枚起請文』の真髄を求めて ― 「尼入道」異説問題の超克(2/2ページ)

浄土宗教学院会員 佐々木誠勇氏

2018年11月30日

また、敬首の『一枚起請親聞録』には、4種類の仏道修行者の一例として「尼入道」が掲げられている。さらに、関通の『一枚起請文梗概聞書』には「其の教え偽りならぬ現証を挙げれば、妙照尼の如きは云々」と、「尼入道」往生の実例「妙照尼」を紹介している。いずれも「尼入道」が一語であることを端的に示す資料である。

従前の解釈に見直しを要する資料もある。『愚管抄』(又建永ノ年)などは、接続助詞「つつ」「て」の古形用法を弁えておくべきであり、一休禅師の漢詩「賛法然上人」(教智者如尼入道)も、『無量寿経』を没却した禅宗学匠の解釈に難点がある。浄土門の視座から再解釈すべきと考える。

異説問題の歴史的経緯を俯瞰する研究も手付かずである。拙著『「一枚起請文」における「尼入道」攷』(注①)に詳述しているが、尼入道二語説の淵源をたどっていくと、真宗仏光寺派貞阿の『一枚起請文皷吹』(貞享2年刊)に逢着する。ところが、明治28年になって、思いもよらぬ展開となる。浄土宗小野國松が、冠註付復刻版(『冠註一枚起請文皷吹』)を発刊したのである。これが、事実上、浄土宗に二語説が浸潤した歴史的なターニングポイントとなる。近代に入り、浄土門諸宗に復刻版が流布した影響は甚大である。

その後、貞阿に端を発する二語説は、『仏教大辞彙』(大正3年)の「尼入道」語釈や、戦前の中等教育の『国文教科書』に採録された『一枚起請文』の指導書「教授備考」の「尼入道」解釈にも色濃く反映されている。

問題の本質は現今の異説論議からは見えてこない。我々は、この異説問題を超克して、「尼入道」例示のご本意を探らねばならない。それは、信仰とは何かという宗教の根本課題に迫る問題でもある。

江戸中期に天台宗霊空から専修念仏批判が惹起された時、格好の標的にされたのが『一枚起請文』の「尼入道」であった。霊空の「尼入道劣機論」は、「機」を「知識・理解力」と解釈している。一方、浄土門の先学は「尼入道正機論」で対峙し、「機」の解釈の主軸を「信仰の深さ、ひたむきさ、純粋さ」に置いている。双方の熱い論戦に「二語説」が介在する余地は全くない。

しかし、現代に生きる我々は、尼入道の実像を知らない。また、現代においては、殊更に「尼入道の機」が論じられることもない。尼入道は「無智のともがら」の一事例にすぎないとする見方が一般的であろう。それは、霊空の「劣機論」に通底する。そして、巷談の「女性差別論」もまた、「劣機」を前提とした思考回路による。

法然上人は、何故に『一枚起請文』に「尼入道」を記さねばならなかったのか。「同じうして」とは、いかなる信仰形態をいうのか。その問いに応えることは、『一枚起請文』の真髄に迫る重要課題である。しかし、「尼入道」の比喩的例示に込められた法然上人の情想を感得し、それを過不足のない言葉で表出することは、永遠の課題である。

それでもなお、法然上人のご本意に多少でも近づくために、その糸口を探さねばならない。前掲の「妙照尼」資料の解説文が注目される。関通は、「正シく一文不通の者なれとも、但信稱名して現證明かに來迎を拜み、目出度往生せり。如レ是ノの機を仰信(注②)分とは申す也」、「但直仰信の人第一の正機」(『浄土宗全書』巻九)と述べている。

「尼入道の正機」とは「仰信の機」と思料される。阿弥陀如来を仰ぎ見て、一心に名号を称える尼入道の姿には、何らの思惟、理解、分別作用のない無条件の欣求、只、ひたすらに渇仰する正機がうかがえたのではなかったか。

学問に秀でた僧侶たちが、とかく見失いがちな専修念仏の枢要を説示したものと考えられる。


(注①)私家版、頒価5千円(送料別)。問い合わせは、佐々木=FAX03・6700・8451。
(注②)「仰信〔ごうしん〕」=教えや仏の深意を理解し思案せず、ひたすら仰ぎ信じること。解信の対。(『新纂浄土宗大辞典』)

三木清 非業の死から80年 岩田文昭氏10月27日

三木の思索の頂点なす著作 三木清(1897~1945)が豊多摩刑務所で非業の死をとげてから、今年で80年を迎える。彼が獄中で亡くなったのは、日本の無条件降伏から1カ月以上…

《「批判仏教」を総括する⑦》批判宗学を巡って 角田泰隆氏10月20日

「批判宗学」とは、袴谷憲昭氏の「批判仏教」から大きな影響を受けて、松本史朗氏が“曹洞宗の宗学は、「伝統宗学」から「批判宗学」に移行すべきではないか”として提唱した宗学であ…

《「批判仏教」を総括する⑥》縁起説と無我説を巡る理解 桂紹隆氏10月17日

「運動」としての批判仏教 1986年の印度学仏教学会の学術大会で、松本史朗氏が「如来蔵思想は仏教にあらず」、翌87年には袴谷憲昭氏が「『維摩経』批判」という研究発表をされ…

増大する電力消費 「原発依存」の未来でよいか(10月22日付)

社説10月23日

ユニット型ケアの普及 高齢者施設にこそ宗教者を(10月17日付)

社説10月21日

戦争に抗議する グローバル市民社会の未来(10月10日付)

社説10月16日
  • お知らせ
  • 「墨跡付き仏像カレンダー」の製造販売は2025年版をもって終了いたしました。
    長らくご愛顧を賜りありがとうございました。(2025.10.1)
  • 論過去一覧
  • 中外日報採用情報
  • 中外日報購読のご案内
  • 時代を生きる 宗教を語る
  • 自費出版のご案内
  • 紙面保存版
  • エンディングへの備え―
  • 新規購読紹介キャンペーン
  • 広告掲載のご案内
  • 中外日報お問い合わせ
中外日報社Twitter 中外日報社Facebook
このエントリーをはてなブックマークに追加