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2024宗教文化講座

現代日本社会と女性教師(2/2ページ)

國學院大研究開発推進機構日本文化研究所PD研究員 丹羽宣子氏

2021年2月19日 10時02分
「男社会」と女性教師たち

しかしながら、教団社会は依然として「男社会」である。教師の男女比は大きく偏っており、2人の女性宗会議員がいるとはいえ、宗門中枢は男性によって占められている。寺院運営は男性住職と妻の協働と息子への世襲継続を前提とする家族単位に最適化されている。彼女たちはそのなかで苦難に直面せざるを得ない。

女性教師たちが「男社会」として寺院社会を表現するとき、そこには様々な意味が内包されている。教師の圧倒的多数が男性であり、男性文化のなかで部外者のように感じてしまうこと。お寺は男性が継いでいくものだという根強い考え方があるため、女性が僧侶となることは挑戦的なものとして認識されてしまうこと。新しいチャレンジを試みようにも、制度の壁に阻まれ、周囲の理解を得られず、時には信念を曲げざるを得ない場面に遭遇することもある。寺務と主婦業を両立させる難しさ。男性住職が妻に支えられながら住職の仕事に専念できるのに対し、女性住職は住職としての務めに加え、家事や育児もしなければならない。会合や会議は打ち上げの時間も含めた「男時間」で設定される。家庭の主婦でもある彼女たちは、夕食の支度や子どもの学校行事と相談しながら会議や行事の出欠を考える。研さんを積んでも「二番手」「一段下」に扱われることもある。法要に女性が入ると格が下がる、女性の声だと物故者は成仏できないなどと中傷されたという性差別経験を持つ者もいる。

そして、女性教師は少数派であるがゆえに互いの反応を意識せざるを得ない。筆者が行ってきたインタビュー調査においてよく聞かれたことのひとつが、女性同士互いに相談することや、自分の立場から問題提言する難しさである。より困難な環境にある人をおもんばかりながら、慎重に言葉を選び、自身の経験を控えめに話す人が多かったことが印象的であった。教団内マイノリティーである女性教師は「女」という単一カテゴリーに押し込められてしまいがちである。しかし、女性教師とひとくちにいっても寺院の出身か否か、年齢や家族構成、家族や周囲の理解、師僧のサポートを得られるかどうか、寺院の有無によって立場や環境は大いに異なる。女性教師の多様性は、時に彼女たちに沈黙を強いる圧力にもなる。

寺院社会におけるジェンダー平等実現が発するメッセージ

日蓮宗の女性僧侶たちが経験する息苦しさは世俗社会と共通するものが多々ある。家庭と寺職の両立は、一般社会の女性が結婚・出産後もキャリアを継続する難しさと似ている。子どもの夕食や習い事の送迎、学校や園行事のスケジュールを考えずに会合や研修に行く男性を羨ましく感じる。男性の輪に入っていく緊張感も、とりあえず末席に座るのも、不意打ちのハラスメントを笑ってやり過ごしてしまい後から自己嫌悪に陥るのも同様である。「お寺のほうが社会の縮図というかね。きっと一般の人が思うよりも、お寺の人はそう思うと思うんですよね」とは、ある日蓮宗女性教師の語りである。お寺が「社会の縮図」であるならば、寺院社会で女性たちが経験するジェンダーに起因する息苦しさや困難を解消することができれば、仏教は社会に力強いメッセージを発することができるのではないだろうか。

宗教は人生の意味やよい生き方を説く。宗教は世界観や秩序の体系を示す。宗教的権威はジェンダー間の序列を正当化・固定化し、男女の性的差異の規範に関するパダライムを再生産してきた。男女の役割、男らしさや女らしさ、それに基づく実践の総称がジェンダーである。ジェンダーは社会生活のあらゆる領域に作用し、個人の行動や思考に大きな影響を与える。そして重要なことは、ジェンダーは可変的な社会的組織であるということである。ジェンダー観や性別役割分業意識は変えていくことができる。

伝統仏教教団が真の意味で「女性活躍」を実現し、女性や性的マイノリティーへの抑圧を排し、多様な背景を持つ人々が多方面で活躍する姿を世に示すこと。これが今、仏教に求められるものではないかと筆者は思う。

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