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昭和戦中期における「長慶天皇陵」治定と仏教界の反応(1/2ページ)

成城大教授 外池昇氏

2021年7月26日 09時21分
といけ・のぼる氏=1957年、東京都生まれ。88年、成城大大学院文学研究科日本常民文化専攻博士(後期)課程単位取得修了。2009年から同大文芸学部教授。著書に『幕末・明治期の陵墓』(吉川弘文館)、『天皇陵の近代史』(同)、『天皇陵論』(新人物往来社)、『天皇陵の誕生』(祥伝社新書)など。

第98代長慶天皇(1343~94)の陵は京都市右京区嵯峨天龍寺角倉町にある。京福電気鉄道嵐山本線の嵐電嵯峨駅を降りてすぐである。ひとつ先に行けば終点嵐山駅で、名刹天龍寺や渡月橋・桂川もすぐ近くで、いかにも南北朝時代の天皇陵という趣の長慶天皇陵ではあるが、実はここに同陵が治定されたのは昭和19(1944)年2月11日、つまり紀元節の日であり、しかもその在位が公的に確認された(皇統加列という)のも大正15(1926)年10月21日である。なぜ南北朝時代の天皇陵が昭和戦中期に至るまで治定されなかったのか。本稿ではそのような長慶天皇陵がたどってきた道程について考えるとともに、『中外日報』に掲載された関連記事を紹介することにしたい。

そもそも長慶天皇が在位していたのかどうかについては、江戸時代から議論が分かれていた。それに学問上の決着をつけたのが大正9年10月刊行の八代国治著『長慶天皇御即位の研究』(明治書院)である。同書は「第三章御即位の史実」で「帝系図」「新葉和歌集奥書」「嘉喜門院集袖書」「帝王御系図」「人王百代具名記」「畊雲千首奥書」「飛鳥井本本朝皇胤紹運録」を繙いて長慶天皇の在位を立証した。

興味深いのはその後の動向である。大正13年4月2日の八代の逝去後の昭和2年2月に発行された同書の改版の巻頭には、「御沙汰書及御下賜品」との説明のもとに「八代恒治 其ノ父故正七位勲六等八代國治 長慶天皇御在位ニ關シ洽博ナル研究ヲ遂ケ的確ニ之ヲ立證シタル功績顯著ニ付特ニ 思召ヲ以テ御紋附花瓶壹個並ニ金五百円下賜候事 大正十五年十月二十三日 宮内省」との「御沙汰書」と「花瓶」の写真が掲載されている。八代の研究が画期的なものであったことは確かであろうが、それにしても八代の逝去後にその子息の恒治がこのような「御沙汰書」を受け取るに至ったのには、一体どのような経緯があったのであろうか。

さてその長慶天皇の在位非在位の問題は、政府にとって緊要の課題であったようで、大正13年4月24日に初会合が持たれた臨時御歴代史実考査委員会の取り上げるところとなった。その結果は長慶天皇の在位を認めるものであったが、そこに至る過程では八代の研究成果が大きく取り上げられたことと思われる。この延長上に大正15年10月21日の長慶天皇の皇統加列があり、その2日後の23日の子息恒治への「御沙汰書」が存するのである。しかし同委員会の詳細を記した公文書は現在公開されておらず、しかも委員であった二上兵治が後年「当初ハ歴史家ノ意嚮ト法律家ノ立場トノ間ニ少カラサル懸隔アリタルモ結局史実的考証ニ基ク専門家ノ熱烈ナル信念カ総テヲ解決シタル推移ニ鑑ミルモソノ間ノ微妙ナル関係ニ付テハ充分ノ考慮ヲ要スヘシ」(岡本愛祐関係文書)と回想していることを鑑みれば、同委員会での議論の様子を速断することはできない。

次いで問題となるのは長慶天皇の陵ということになる。在位が認められたのにもかかわらず、その陵が不明という訳にはいかない。陵が不明では天皇による皇霊祭祀の体系が完成しないのである。八代もその点は認識していたとみえ、前掲書で八代は「京都にて崩御あらせられしものならん。大正五年八月嵯峨臨川寺の東、慶寿院旧址を調査し御陵にあらずやと思はるる墳墓を発見」したと今日長慶天皇陵とされている慶寿院址を指摘するものの、これに続けて「学術上的覚(確)に認め難きを以て発表は姑く之を止めたり」と述べ、慎重にその断定を避けている。しかもその理由が「学術上的覚(確)に認め難きを以て」ということであれば、尚更慶寿院址説はあり得ないかにみえる。その慶寿院址がいったいなぜ昭和19年2月11日に長慶天皇陵として治定されたのであろうか。それについて述べるには、宮内大臣の諮問機関として設置され昭和10年6月27日に初会合が持たれた臨時陵墓調査委員会についてみることから始めなければならない。

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