神智学はなぜ仏教史のテーマになるのか(1/2ページ)
武蔵野大准教授 碧海寿広氏
先頃亡くなった作家の瀬戸内寂聴さんは、天台宗の僧侶でした。とはいえ、彼女の仏教に関する著述や話は、天台宗に特有と言うより、広く人生の役に立つ内容のものが多かったように思います。宗派色を感じさせない、彼女一流の仏教論が展開されていたと言えます。
これは、寂聴さんの師僧である今東光にしても同様です。中尊寺の貫主を務めた天台宗の大物ですが、作家として『週刊プレイボーイ』で人生相談の連載をしたり、テレビタレントとして活躍したりと、彼もまた宗派の枠を超えた独自的な仏教者として行動しました。
東光は、その人生の半ばの頃(1940年)、リードビーターの『神秘的人間像』という本を日本語に訳しています。リードビーターは、今回の論の主題である神智学という運動の初期の指導者の一人で、同書は、神智学の思想の解説書です。東光の父の武平は、インドで神智学協会の第2代会長アニー・ベサント(リードビーターはその側近)らと交流して神智学徒となり、東京に協会の支部を作るなど、神智学の日本への紹介に尽力した先駆者の一人でした。その父の影響下で、東光も神智学に強い関心を抱いていたわけです。
神智学(theosophy)とは何か。広義には古代からある神秘主義の一種を指しますが、狭義には1875年に設立された神智学協会の思想だと言えます。この協会は、米国の軍人ヘンリー・S・オルコットと神秘思想家のヘレナ・P・ブラヴァツキーが、ニューヨークで結成しました。神智学では、太古より聖者によって啓示されてきた「叡智」を人類が改めて学び、世界の諸宗教に共通する真理に目覚めることで、個々の人間の霊的な進化が成し遂げられると考えます。こうしたオカルト的あるいはスピリチュアルな発想は現在もそこらじゅうで説かれていますが、その近代における最大の源流の一つが、神智学です。
西洋の神智学徒の多くは、東洋の仏教に関心を抱きました。近代科学の発展などによって信憑性に陰りが見え始めたキリスト教とは異なり、19世紀になり西洋で知られ始めた「新しい」宗教である仏教には、神智学徒の求める「叡智」がより発見しやすいように思えたからです。オルコットは、スリランカを中心にアジアの仏教復興を目指したダルマパーラと手を結び、共に日本へやって来て僧侶らからの大歓迎を受けます。ブラヴァツキーは、チベットの「マハトマ(聖者)」から仏教の真理を授かったと主張していました(おそらく虚言)。
かくして、神智学は西洋世界に仏教が浸透していく上での重要な足掛かりとなります。と同時に、神智学は日本をはじめとするアジア諸国の仏教者たちが、西洋にアプローチする際の窓口の一つにもなりました。神智学やその影響下にある人々の理解した「仏教」が西洋に拡がる一方、神智学関係者と交流した日本の仏教者たちが、西洋人や、西洋的な考え方をするようになった日本人に伝えるための、新しい「仏教」を積極的に語るようになったのです。
その種の新しい仏教には、基本的に宗派性が希薄です。諸宗教に共通の知や霊性を求めた神智学徒らは、宗派的な分断を嫌い、この点は神智学に感化された日本の仏教者たちにも少なからず共通します。また、神智学のフィルターを通過した新しい仏教は、従来的な意味での「仏教」とはまるで別物である場合も多かった。表面的には「仏教」を標榜していても、実際に語られている思想の内容は、西洋の様々な哲学や神秘思想の組み合わせや、さらには素朴な人生訓にすぎないことが多々あったわけです。