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医療の現場を通して見えてきた宗教者(ビハーラ僧)や寺院の可能性(1/2ページ)

龍谷大大学院実践真宗学研究科特任教授 森田敬史氏

2024年12月9日 09時23分
もりた・たかふみ氏=1975年、大阪府生まれ。融通念佛宗僧侶。長岡西病院ビハーラ病棟にて常勤ビハーラ僧として通算10年間、患者・家族・スタッフの心のケアに努める。2016年東北大大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。18年から現職。臨床宗教師の養成・継続研修にも携わる。専門は実践宗教学、臨床死生学。共編著に『宗教者は病院で何ができるのか―非信者へのケアの諸相―』(勁草書房、22年)など。

筆者はターミナルケアの現場において、通算で10年間「常勤ビハーラ僧」という僧侶の立場で片隅に居ることが許された。その医療の現場から多くのことを教わったので、それをもとにここではひとまず「人」と「場」を通して「宗教」なるものに触れるという“体験”について述べてみたい。思想的なものだけが一人歩きするような状況とは違って、具体的に実際の場面で経験が伴うことに重きを置いた。紙幅の都合により、「ビハーラ(Vihāra)」という視点から日本仏教に限定して私見を述べる。

キリスト教を背景としたホスピス運動に触発されて、仏教界でも同じようなケアの在り方を実践しようと「ビハーラ」病棟が1992年に新潟県長岡市にある長岡西病院内に誕生した。そもそも「ビハーラ」という言葉自体は「仏教を背景としたターミナルケア施設の呼称」として、85年に田宮仁氏により提唱されていたのである。ビハーラ病棟には僧侶が出入りすることと病棟内に宗教的空間である「仏堂」があるという主に二つの特徴がある。

病院内に僧侶が存在する必然性

社会的なイメージとはかなり強固なものであり、医療と宗教、特に仏教となるとなかなか並列に結び付けられない。そもそも苦しい治療を継続させてでも回復を願い、完治や根治、それが望めなくても治癒すなわちポジティブな状態を目指している病院に、死を連想させてしまう僧侶や仏教の存在は大変違和感のあるものとなる。それは利用者(患者・家族・遺族)の雰囲気から容易に確信できた。これが死亡退院時の反応となると、特に顕著なものとなった。もともと生きることにも関わりを持っていた僧侶がいつの間にか、死の場面のみに限定されるようになり、それらは諸要因が影響しているのだろうが、現実場面ではシビアな反応を生じさせてしまう。

皮肉なことではあるが、逆にだからこそ僧侶が存在することに意味があるのではないか。そのシビアな反応を逆手にとって、この存在、さらに宗教的な儀礼や実践を通して「死」を感じていただくことも存在価値として考えられるような状況ではないか。ただ追い詰めるとか、嫌な思いをさせるとか、ということで終わるのではなく、「老」「病」「死」という生きとし生けるものにとって避けられないライフイベントに際し、それを思い通りにならない我が事として捉え、自分がどう向き合うかを深く考えていただくように促すことができる。その促しは時に、本人の様々な痛みを和らげることにも繋がる。

実際、臨床現場で医療だけでは利用者が充足できない状況があり、医療からこぼれ落ちるものを宗教が掬い上げる、またはこぼれ落ちていることを知らせることが筆者の実践の中でも見られた。もちろん社会的なイメージゆえに敬遠されがちではあるが、病院、特にターミナルケアの現場では、いのちを見つめる場だからこそ宗教が必要になると考える。神仏のような超越的存在との“仲介”を求められたり、その超越的存在を自身の拠り所とするために目に見えない何とも言えない醸し出される宗教的雰囲気を纏ったりすることにより、「死」後も含めて「救い」や「安心」を届けられるのも宗教者の一つの特性ではないか。宗教者は医療分野ではエッセンシャルワーカーとしてなかなか認められない。それでも上述のことを価値あるものと重視していた現場がビハーラ病棟であった。次にあげる「仏堂」での宗教的実践は“手を合わせる”場や“祈る”場をつくりだし、そこに一区切りをつけるという意味が生じていた。それらは死者のケアとも認識され、そこに携わることができることも「宗教者ならでは」と考えられないだろうか。これは宗教者が他の専門職よりもう少しだけ長く、そして深く利用者とご一緒できることを意味するのである。

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