刊行仏書が示す新たな近世仏教像(2/2ページ)
東北大大学院准教授 引野亨輔氏
それにも関わらず、『阿弥陀経和訓図会』では、離婆多が鬼から片脚を奪われた話や、周梨槃陀伽が掃除の功徳によって悟りを得た話など、個性的な仏弟子たちのエピソードが次々紹介されており、読者を飽きさせることがない。なにしろ『阿弥陀経和訓図会』の作者は戯作者として名高い山田案山子であり、この手の読者サービスはお手のものだったからである。
もっとも、娯楽性の追求だけが江戸時代に刊行された通俗仏書の特徴というわけではない。そこで次に、同じく山田案山子によって著された『観音経和訓図会』に注目してみたい。
ここでいう観音経とは、法華経のなかの一章である観世音菩薩普門品を指している。様々な現世利益を説くため、独立した仏教経典のように扱われることも多く、江戸時代に西国三十三所観音霊場への巡礼が盛行すると、庶民層によって唱えられる機会も増えた。
『観音経和訓図会』が、こうした社会動向を踏まえ、庶民層にも理解可能な言葉で観音経の教えを解説した仏書であることは間違いない。だからこそ、日蓮が観音経を唱えて斬首を免れた話など、不可思議な現世利益譚が数多く紹介される。
ただし、『観音経和訓図会』で強調されるのは、現世利益ばかりではない。貪・瞋・痴の三毒に触れた箇所では、これらの煩悩こそ、外から襲ってくる盗賊以上に恐ろしい心中の大盗賊なのだと述べられ、観音経を唱えて心の迷いを消し去ることの大切さが説かれる。戯作者山田案山子は、庶民層の購入を念頭に置いて、観音経の即物的なご利益を称揚しつつ、その一方で深遠な仏教経典の真理も教え示していたわけである。商業出版の成立に伴って、着々と娯楽性を向上させながら、教化の理念を完全には喪失していないところに、江戸時代的な通俗仏書の特徴があったといえる。
『近世仏教資料叢書』では、以上のように娯楽性と教訓性の両輪で近世社会に浸透していった仏書を、幾つかのテーマに基づいて紹介していく予定である。そこで最後に、こうした資料集の刊行が始まった意義を、仏教研究の歩みのなかに位置付けて、小論を閉じることにしたい。
日本における仏教研究の展開のなかで、まず押さえておかなければならないのは、いわゆる鎌倉新仏教論である。法然・親鸞・道元・日蓮など、鎌倉時代に続々と登場した革新的思想の提唱者は、日本仏教の最高峰を示す者とみなされ、仏教研究は彼らの思想分析を主軸として展開していった。これと対照的に、江戸時代は仏教信仰の形骸化が進んだ時代とみなされ、積極的な研究意義を見出せない状況が長く続いた。
以上のようなかつての研究動向と合わせて考えれば、膨大に存在する江戸時代の刊行仏書が、研究素材として等閑視されてきた理由も良く分かる。誰でも読める平易な文章で、良く知られた教えを注解することが多い江戸時代の仏書は、法然や親鸞の著作とは、対極に位置するものである。時代を画する思想が最重要視される研究状況のなかで、通俗的な刊行仏書を、資料集に収録する試みは生じにくかった。
もっとも、近年では中世仏教・近世仏教ともに、旧来型の理解は大幅に見直されつつある。近世仏教についていえば、注目したいのは仏教史研究者の大桑斉が提唱した「土着」論である。大桑によれば、江戸時代とは、仮名草子や浄瑠璃など種々の文芸作品に影響され、一般民衆がそれとは意識せず仏教的な思考を使いこなすようになった時代とされる。思想の社会への浸透という点に評価基準を置けば、実は江戸時代こそ仏教「土着」期なのだというわけである。
なるほど、現代人も人生の「無常」について語り合ったり、物語の「因果応報」な結末にぞっとしたりと、何気なく仏教由来の思考方法を用いることはある。その発端を、大量の刊行仏書が流通した江戸時代に求める大桑の議論は、検討に値するものと思われる。
こうして仏教研究の歩みを振り返った上で、あらためて『近世仏教資料叢書』の立ち位置を探ると、その試みと近世仏教研究に生じた新たな潮流とのあいだに、共通の目標を見出すことも可能である。時代を画する思想の抽出と分析は、もちろん重要なものである。しかし、ある社会通念が浸透する過程の検証も、同じぐらい重要なものである。『近世仏教資料叢書』は、後者の研究課題を担い得る試みだと考えている。