宗教の公共性と倫理的責任(2/2ページ)
玉光神社宗教心理学研究所特別研究員・日本脱カルト協会理事 溪英俊氏
すなわち(一)地獄や罰による恐怖の否定、(二)救済の無償性による搾取の否定、(三)外的行為や戒律への依存を退ける自由である。
これらの思想的要素は、信仰を他者支配の構造から守る倫理的機能を果たしていると指摘している。ただし、『歎異抄』は親鸞の法語として広く知られているが、親鸞の著作ではなく、弟子・唯円による聞書である。したがって、思想的根拠を確かめるためには、親鸞自身の著述に立ち返ることが不可欠である。
『教行信証』は親鸞の主著であり、浄土真宗の他力思想が体系的に示されている。親鸞は、「自信教人信 難中転更難 大悲伝普化 真成報仏恩」の「伝」の字を「弘」として引用する(善導ではなく智昇による)ことで、人間の行為性を論じるのではなく、阿弥陀仏による救済として表現する。主体を人間から阿弥陀仏へと転換しているところに、親鸞の特長がある。
また自信教人信の語についても、布教伝道上の注意点として「教化者意識の払拭」が重要であると語られてきた。これらは、宗教指導者の絶対化を抑制する視点を有している。
さらに親鸞は、自らを「愚禿」と称し、自己の凡夫性を省みる姿勢を貫いた。これは、阿弥陀仏に帰依する一人の凡夫にすぎないという徹底した自己相対化である。信仰の優劣や序列を否定するこの平等主義的視座こそ、宗教的支配構造を内側から抑制する論理となる。
伝統宗教教団がカルト問題に沈黙してきたとされるが、実際には一様に無関心であったわけではない。地下鉄サリン事件以降、複数の宗派が声明を発し、また信者向けに注意喚起も行われた。さらに被害者家族への相談対応や脱会支援に関わった僧侶も存在する。
それでもこれらの取り組みが社会に十分に認識されなかった背景には、「同業者批判」へのためらいがある。個別の宗教法人として独立性を重視する日本の宗教界では、他宗を批判しない慣行が根強く、信教の自由を尊重する理念が相互不干渉へと転化してきた。その結果、倫理的責任が曖昧となり、問題団体の暴走を抑えきれなかった。宗教を守るための沈黙がかえって宗教への信頼を損なう構造を生んでしまったのである。
さらに、カルト問題に関する知識の共有不足も深刻である。宗教学や社会学では研究が進んでいるものの、その成果は宗教界全体に十分浸透していない。
僧侶教育では「信仰の純粋性」や「伝統の継承」が重視され、宗教が社会に与える影響を批判的に学ぶ機会が乏しいため、問題が起きても「他宗のこと」と見做す傾向がある。また、宗教とカルトの境界を明確に説明できない不安や、発言が他宗批判や宗教弾圧と受け取られる懸念も沈黙を助長した。これらは怠慢ではなく、宗教的礼節・制度的制約・社会的警戒が複合した構造的現象である。
この沈黙を超えるには、教団単位の努力に加え、宗教間の協働と対話が不可欠である。宗教間対話は単なる友好維持ではなく、相互批判と省察を通じて宗教教団の健全性を高める営みである。
幸日出男が指摘するように、日本の宗教間対話は「同業者組合的」側面が強く、行政との調整機能にとどまってきた。今後は倫理的・批判的対話として深化させ、カルト問題や人権教育、被害者支援などの課題を共有することが求められる。
対話の目的は他宗を糾弾することではなく、他者を鏡として自己を省みることである。批判を恐れず受け止め、それを自己改革の契機とする姿勢がカルト化の抑制になっていく。
伝統宗教の内部には、暴力的ではないがゆえに見過ごされがちな「静かなカルト性」が潜んでいる。それは、秩序や伝統を重んじるがゆえに信者の自由を奪う構造である。しかし、宗教の役割は人を縛ることではなく、人を解き放つことにある。
信仰の自由とは、信じる自由のみならず、疑い、考える自由をも含む。沈黙を破り、他者と語り合い、内なる抑制と外なる対話を結び合わせる。宗教がこの省察を保ち続けることが宗教教団の社会的信頼の回復に繋がるといえよう。
宗教の公共性と倫理的責任 溪英俊氏12月12日
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