過疎地置き去りの悲劇 東京一極集中の裏返しだ(2月21日付)
普段は気付かない理不尽な世のありようが災害時に可視化されるという経験則が、能登半島地震でも顕著に表れた。被害の深刻さが判明するのに日数を要し、従って被災者救援の初動も遅れた。その混乱ぶりが、過疎と高齢化が進む地域の苦境を置き去りにした社会の病理を端的に物語っている。
予想していたことだが、被災の全容が明らかになるにつれ、いずれ消滅する限界集落の復興にどこまで公費を投入すべきか、という議論が出始めた。生産性を欠く過疎地域に、災害前の生活を取り戻すような策は不要という乾いた思考が、この種の議論にはある。
特に被害が大きかった珠洲市、輪島市など奥能登の2市2町は1980年以降人口が半減し、65歳以上の高齢者も約5割で「自助・共助・公助」の自助と共助が限界にきていることは確かだ。過去6千年で最大という大規模な地盤隆起で漁業もひどい打撃を受けるなどしており「死ぬまで地元で頑張ろうと思っていたが、心が折れてしまった」という被災者の声を聴くのはつらい。
2007年の能登半島地震の際には、石川県立大の研究グループによる被災者へのアンケートで、被害の大きかった地域でも「元の場所に住み続ける」という回答が多かったという。その後、地震の続発があったとはいえ、地元の人々の長く住み続けた郷土への限りない愛着心を経済的な効率性だけで切り捨てていいものだろうか。
そもそも能登半島は交通インフラが整備されておらず、鉄道は穴水町までの1本だけ、道路は県市町道が中心で、今度の地震で寸断された道路のほとんどは老朽化した市町道だった。そんな交通事情が過疎の一因になっており、復旧や復興の困難さも予感させる。
地域の過疎は、裏返しとして大都市部、特に東京への一極集中を招いた。その東京では、南海トラフ地震の備えは最悪事態を想定しているが、首都機能喪失をもたらすような大災害の可能性は排除しているという専門家の指摘がある。首都直下地震は阪神・淡路大震災と同じマグニチュード(M)7・3程度が想定されているが、1世紀前の関東大震災は海洋プレート型巨大地震で、破壊力は阪神・淡路の10倍は下らないと推定される。東京都心の人口は当時より5倍近く増えており、二次的な社会災害も想像を絶する。効率重視の未来像も楽観できるものではない。
結局、問われているのは、地域に住む人々の苦悩は社会の構成員全員の問題だという感受性だろうか。熟考を迫られる災害である。