ケア活動の意義 宗教者の貢献を見直す(4月5日付)
コロナ禍は宗教集団にとっても厳しい時期だった。宗教活動では共に集うこと、他者と場を共にすることがいかに重要かを思い知ることになった。オンラインで交流の機会を持つなど、工夫を重ねてきたが、それには限界があった。
すでにコロナの流行が終わったとは言えない。他の感染症の流行のニュースも相次ぎ、安心はできない。花粉症の時期でもあり、マスクを着けている人は多い。
病院や介護施設では今でも警戒を続けざるを得ない状況だ。医療や介護の関係者は感染症を防ぐための措置を全面的に緩めるには至っていない。寄り添いのケアを行ってきた宗教者やボランティアの人たちもコロナ禍でその活動の場が失われていたが、回復のペースはなかなか速まらない。
コロナ禍で広まったものの一つに「エッセンシャルワーカー」という言葉がある。生活の基盤を支える仕事でリモートではできない。店舗での販売や運輸のような仕事も含まれるが、ケアの仕事はその大きな割合を占める。保育や教育もそうだが、宗教活動もケアの仕事の内に入るものが多い。
過疎や人手不足は少子化や高齢化の影響が大きいが、コロナ禍が加わって、ケアの仕事を削るモチベーションは上がった。ITやAIの発展で補おうとする方向性も追求されている。だが、それでもケアの仕事をなくすわけにはいかない。人が生きる上で不可欠なものだ。ケアの意義を見直し、社会としてそこを重んじるべき時だ。
コロナ禍が過去のものと感じるようになり、限界はあるものの人が集まる機会は多くなった。それはケアの意義を再評価すべき時でもある。そして、宗教活動はケアに関わる要素が大きいことも思い出す必要がある。教団や宗教者は今こそ、ケアの活動に力を入れる時である。
折しも能登半島地震では当初、宗教者やボランティアによる支援活動がしにくい時期が続いた。東日本大震災の後とは大きな違いだった。これは能登半島の地理的条件や道路や水道の復旧が遅れたことも災いしたが、国や県がボランティア活動にあまり積極的でなかったことも関わっている。
2024年という年は改めてケア活動の意義が見直され、活性化する時期となるのではないか。これは被災地支援に限らない。深刻化しているケアの人手不足の問題への対処も急がれる。待遇改善は焦眉の課題となるだろう。併せて、宗教におけるケア活動の重要性も見直すべきだ。臨床宗教師や介護カフェなどの活動の活性化も期待されるところだ。