平和を力強く訴える 問われる宗教者の役割(5月15日付)
新型コロナウイルスのパンデミックが水を差したが、宗教者の国際交流は盛んになりつつある、といっていいだろう。日本国内でも海外から諸宗教の代表を招き、平和などを語り合う会合が開かれるのもまれではない。しかし、その成果が効果的に発信されているかといえば疑問だ。
そもそも、伝統教団の対社会発信力の弱さは定評がある。過去を振り返れば、オウム真理教事件で国民の間で宗教不信が高まった時、宗派レベルでも「カルト」を宗教自体に関わる問題として研究した例があった。しかし、それらの成果は広く社会に、一般の市民にまで届くよう発信されたとは言い難い。観光、文化財は別にして「宗教」とは疎遠なマスメディアの側の姿勢にも疑問がある。旧統一教会問題では教団アンケートを実施したところでも、回答の情報処理の仕方はやや隔靴掻痒の感を抱かせた。
いま最も深刻に問われているのは「平和」だ。ロシアとウクライナの戦争は背景の一つに、ウクライナ国内の正教会の分裂、コンスタンチノープルやアレクサンドリアの総主教庁とモスクワ総主教庁の間の深刻な分裂がある。イスラエルのガザ侵攻においても、宗教が平和に貢献する役割を果たし得ていない現実が私たちの目の前に突き付けられている。宗教を超えた国際会議が幾つも開かれ、こうした対立の克服が議論されているが、宗教間対話の真価が問われている。
一方で気になるのは、そのような国際交流の場に、例えば日本の宗教を代表するような組織があまりみられないこと。海外との交流に熱心な教団の名は散見されるが、日本の宗教の存在感は強くはない。日本宗教連盟などの連合体はその成り立ちからみて、我が国の宗教の立場を世界に向けて発信するのに不向きかもしれない。だが、日本の宗教者がいまの事態を深く憂えていることを世界に伝えるのは重要だ。平和の訴えに積極的に参加してほしい。
そういえば、ロシアのウクライナ侵攻に当たって、非難声明を発表した伝統教団もあった。しかし、その後は個別の宗教者・団体の支援活動は別として、全体的には沈黙に近い印象を与えている。日本の諸宗教の沈黙は無力さの証しということでなければ幸いだ。
あえて強調したいが、いま、宗教はもっと積極的に平和について力強く語らなければならない。宗教に関心のないメディアの反応が乏しくとも、SNSなどを駆使し、檀信徒や社会に向けて訴えるべきである。