PR
購読試読
中外日報社ロゴ 中外日報社ロゴ
宗教と文化の専門新聞 創刊1897年
新規購読紹介キャンペーン
PR
2024宗教文化講座

ブッダガヤ、目覚める「仏教聖地」 ― 問い直されるあり方(1/2ページ)

国立民族学博物館外来研究員 前島訓子氏

2015年6月25日
まえじま・のりこ氏=1980年、三重県生まれ。名古屋大大学院環境学研究科博士後期課程修了。博士(社会学)。名古屋大助教を経て、現職。専門は地域社会学、都市社会学、地域研究。論文に「ブッダガヤ-仏教最大聖地の発見と変容」など。
仏教発祥の地、インド

インドにおいて国内外の旅行者を惹きつけて止まない場所の一つに「仏教聖地」がある。インド北部地域のガンジス河流域には、ブッダ(釈迦)と関わりのある地が点在し、中でも、その生涯と最も深く関わる地は「仏教聖地」と呼ばれている。特に、誕生の地(ネパールのルンビニー)、悟りの地(ブッダガヤ)、初めて説法をした地(サルナート)、涅槃の地(クシナガラ)は、仏教四大聖地と称されている。この四大聖地の中でもブッダガヤは、仏教最大の聖地として知られ、外国人もよく訪れる。

ブッダガヤには、ブッダの悟りを記念して建立されたとされる50メートルを超える大塔(大菩提寺/マハーボーディー寺院)や金剛宝座、菩提樹がある。2002年に世界遺産に登録され、国内外の仏教巡礼者や観光客が訪れる地となっている。その数は年々増加の一途をたどっているが、今のように人々が押し寄せるようになるのは、インドが独立する1947年以降、とりわけこの地に各国の仏教寺院が建てられ始める56年以降のことなのである。

忘れられていた「仏教聖地」

ブッダガヤをはじめとした「仏教聖地」が、人々の関心を惹きつけたのが比較的近年だという事実は、インドにおける仏教の歴史とも関わる。インドには「仏教空白の時代」と称される時代がある。13世紀頃になるとインドから仏教が姿を消し、時の王や有力者からの寄進、仏教教団の保護の下、繁栄の過程で各地に建立された仏教建造物の多くは、経済的基盤を失った教団内部の弱体と、イスラム教徒の侵略に伴う破壊、さらには自然災害を被り、風雨にさらされる中で、「仏教聖地」は忘れられた地と化し、遺棄されることになったのである。

再発見されるブッダガヤ

こうした仏教の栄華を象徴する遺跡に光が当てられるのは英領期のことである。19世紀になると英国考古学調査局による各地での調査が進み、仏教遺跡の発掘が行われた。ブッダガヤでは大塔の大規模な修復が行われ、この修復が今日の大塔の原型を築くものとなっている。

ただし、ブッダと関わりのある場所が最初から特定されていたわけではない。ブッダ誕生の地(ルンビニー)に関しては、初期の探査段階ではいくつもの候補地があり、ブッダが幼少期を過ごしたとされる地(カピラヴァストゥ)に関してもインド側とネパール側でその位置が論争になっていた。要するに、すでにインドの大地に埋もれ、忘れられていた地は、考古学的調査が進む中で「仏教聖地」として位置の確認が進んでいくのである。

しかし、位置の特定によって即座に、信仰上意味を持った場所として、内外の仏教徒に注目されたわけではない。ブッダガヤが単なる歴史的遺跡ではなく、仏教徒にとって神聖な地として改めて再認識されることとなったのは19世紀も後半のことである。

当時、ブッダガヤの大塔は、ヒンドゥー教のシヴァ派の僧院の院長、マハントが所有していた。1891年にブッダガヤを訪れたスリランカの仏教徒、アナガーリカ・ダルマパーラが、ブッダをヴィシュヌ神の9番目の化身と見なし、ヒンドゥー教の寺院であることを主張するヒンドゥー教徒から、大塔の返還を求めて立ち上がった。ダルマパーラを駆り立てたのは、大塔が仏教徒にとって聖なる場所以外のなにものでもないという思いと、現状を仏教徒が誰も問題にしてこなかった現実を目の当たりにしたからだった。ダルマパーラは、同年にマハーボーディー・ソサイエティ(大菩提会)を設立し、世界の仏教徒に協力を呼びかけ、日本にも支援を求めて来日している。だが、その願いはすぐに叶えられたわけではなく、インド独立以後にブッダガヤ内外で起きた変化を待たなければならなかった。

「浄土宗の中に聖道門と浄土門がある」 田代俊孝氏3月18日

浄土宗開宗850年をむかえて、「浄土宗」の意味を改めて考えてみたい。近時、本紙にも「宗」について興味深い論考が載せられている。 中世において、宗とは今日のような宗派や教団…

文化財の保護と活用 大原嘉豊氏3月8日

筆者は京都国立博物館で仏画を担当する研究員である。京博は、奇しくも日本の文化財保護行政の画期となった古社寺保存法制定の1897(明治30)年に開館している。廃仏毀釈で疲弊…

語り継がれるもうひとつの神武天皇陵 外池昇氏2月29日

神武天皇陵3カ所 江戸時代において神武天皇陵とされた地が3カ所あったことは、すでによく知られている。つまり、元禄の修陵で幕府によって神武天皇陵とされ文久の修陵でその管理を…

アカデミー賞2作品 核問題への深い洞察必要(4月17日付)

社説4月19日

人生の学び 大事なのは体験で得た知恵(4月12日付)

社説4月17日

震災犠牲者名の慰霊碑 一人一人の命見つめる(4月10日付)

社説4月12日
このエントリーをはてなブックマークに追加