歴史への視点 戦争のない未来図描けるか(7月16日付)
日本の戦後80年は世界の戦後80年でもある。人類史上最大の死傷者を生んだ第2次世界大戦の終結から現在までの歩みを考える時、現代世界は戦後を生きているだけでなく、現在進行中の戦争を体験している現実に直面する。私たちは「戦後」ではなく、新たな戦争と明日を考える視点で80年を振り返らなくてはならない。
人類は過去の歴史から学ぶことで未来を生きる道筋を描いてきたはずである。ところが現実は、力による制圧を目指す戦争が正当化されている。繰り返される戦争を止めることができない戦後世界は、過去の悲惨な経験から得た学びを生かして平和な世界を取り戻すことができないのだろうか。
天皇が終戦の「詔書」を国民に発表した1945年8月15日は「玉音放送」として記憶に刻まれている。日本が無条件降伏を受け入れるまでの数カ月が歴史の転換点となった。この年の3月、東京、名古屋、大阪、神戸と大空襲が続き、4月に米軍は沖縄本島に上陸。陸軍が戦争遂行を主張する中で政府は本土決戦に備え、鈴木貫太郎首相はポツダム宣言黙殺・戦争邁進の談話を発表する。
米軍は直後の8月6日に広島へ原爆を投下。8日にソ連が参戦し、9日に長崎へ原爆を投下。ここに至って日本政府は、天皇の裁断を仰ぐ形でポツダム宣言受諾を決定する。未曽有の犠牲を強いる力に屈する形での降伏である。51年9月8日にサンフランシスコ平和条約が日本を含む49カ国により調印され、翌年4月28日に発効。この日をもって日本国は主権を回復し、国際法上、日本の戦争状態が終結したことになる。
その後の日本は戦後復興に汗を流し、世界に冠たる経済大国として蘇った。しかし、唯一の被爆国となり敗戦を経験した日本が平和国家建設を成し遂げた今、大震災による原発事故と現代世界に起きている戦争に対峙しつつ、未来図をどう描こうとしているのかについては危うさを感じさせる。
重要な論点として、沖縄への米軍駐留、原子力利用の推進、そして憲法改正の是非がある。これらの課題に、日本は国民主権の民主主義国家として冷静に議論を深めることができているだろうか。沖縄の現状は米軍による列島の武装化であり、予測不能な事故と放射性廃棄物の処理問題を同時に抱える原子力発電は、被爆国が原子力エネルギーの平和利用を推進するという理念転換に、どこまで正当性を見いだせるかが問われている。憲法改正は、こうした現実と不可分の関係にあるものとして考えられなくてはならない。