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第22回「涙骨賞」を募集
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子どもの抱える困難の根底にあるもの ― 生きづらさに一人悩む(2/2ページ)

精神科医 松本俊彦氏

2015年11月4日

同じ言葉を、私はかつて勤務していた薬物依存専門病院で何度となく聞いたことがあります。若い薬物依存患者に薬物の害を説明すると、必ずその反論としてこの言葉で切り返されたものでした。

このことは、私の講演が、最もメッセージを届けなくてはならない相手に届いていない、という事実を示していると思います。

この結果を見て、私はこう考えました。自傷経験のない若者の多くは、薬物乱用防止講演など聴かなくとも、そもそも薬物には縁のない生活を送り続けるのではないか、そして一方、自傷経験のある子たちは、そのような講演を聴いても薬物に手を出すときには手を出すのではないか。それどころか、ひょっとすると薬物に様々な害があるからこそ――「ダメ」だからこそ――、一種の自傷行為として薬物に手を出すのではないか……。そう、「ダメ、ゼッタイ」だけではダメなのです。

すでに述べたように、自傷経験者は、リストカットによって皮膚を切り裂く以外にも様々な方法で「自分を大事にできない行動」を繰り返しています。彼らは単なる「ひねくれ者」なのでしょうか?

まさか。

理解しておいてほしいことがあります。自傷行為は決して誰かの真似をしているわけではないですし、周りの人の関心をひこうとしているわけではないのです。もしもそういった理由で自分を傷つけているとするならば、必ずみんなが見ている前で行い、自分がしたことを吹聴して回るはずです。でも、大抵はそうはしません。自分を傷つける人の大半は、一人ぼっちのときに、服で隠れる場所をこっそりと傷つけますし、その傷のことを内緒にしておくことの方がはるかに多いのです。

理解ある支援者に

では、彼らはなぜ自分を傷つけているのでしょうか? それは「怒りや絶望感、緊張感、不安感」といったつらい気持ちを抱えたときに、誰かに相談したり助けを求めたりといった方法で人に頼ることなく、たった一人でそのつらさをやわらげるためなのです。

しかし問題は、自傷行為は一時しのぎでしかないという点にあります。その瞬間つらい気持ちが紛れたとしても、つらい気持ちを引き起こす原因、現実のつらさ(いじめや家族の不和、あるいは様々な悩みなど)が解決に向かうわけではないのです。

だから、私はこんなふうに考えています。自分を傷つける若者は確かに様々な方法で自分を大事にしない行動を繰り返しているが、その中で最も自分を大事にしない行動は、リストカットでも、飲酒や喫煙でも、拒食や過食・嘔吐でも、危険なセックスでもなく、「悩みを抱えているのに、誰かに相談しないこと、助けを求めないこと」である、と。

自傷する若者に対し、周囲の大人にできることは何でしょうか? 宗教者の皆様に二つ、お願いがあります。

一つは、自傷を甘く見ないことです。「リストカットなんかじゃ死なない」とは言えるかもしれませんが、「リストカットする人は死なない」とは言えません。

むしろ自傷経験者の将来における自殺死亡のリスクはきわめて高いことが分かっています。というのも、自傷したからといってつらい現実は何も変わりませんし、繰り返すたびに自傷が持つ「心の鎮痛効果」が弱くなっていきます。

やがて、以前は自傷なしでも耐えられたストレスにも自傷が必要となり、早晩、「切ってもつらいし、切らなきゃなおつらい」という状態に陥ります。そのときに自殺の危機が高まるのです。

もう一つは、自傷を頭ごなしに叱責、禁止しないことです。「自分を大切に」とか「命を大切に」といった、ありきたりな説教は、百害あって一利なしです。

もちろん、自傷を容認しろと言うつもりはありません。ただ、急には手放せないことを理解して下さい。それでも理解ある支援者との出会いの中で「人生において最も悲惨なことはひどい目に遭うことではなく、一人で苦しむことだ」と実感する経験を重ねていけば、そこから新しい生き方が開けてくる――私はそう信じています。

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