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守るべき国とは何か ― 「自由と平等」目指す自由の国(2/2ページ)

真宗大谷派教師 兪渶子氏

2016年3月2日

今、沈黙に寛容であることは、不誠実な選択だ。沈黙をやぶり声を上げることこそ、過去を救い未来に応えることだ、と思う。

「戦争反対」と言うことができなかった時代が再び私を覆う日が来ないように。過去から学び、そこにとどまることなく、未来へ発信する言葉に生きよう。

死ぬまで生きよう

私は10代の頃、桜の花が嫌いだった。否、「死んで桜の木の下で会おう」と表された、そんな桜が嫌いだった。

春、満開の桜の木の下でお花見する人々を横目で見ながら、ちょっとの気恥ずかしさと、蔑みを感じてしまう。それは美しい桜に嫌悪感を持つ自分に対しても思う思春期の閉塞。

人と出会い、自分を発見するように、一本の木にも出会う、その時があるのだろう。遅い春の日、桜の花が好きな私を発見した。ハラハラと散る情緒を誘う桜花ではなく、ひと吹きの風に舞い上がる桜の花を見た時、心が開かれて行く思いがした。そう、人間は切なく散り行く桜に、自分のいのちを託すように死んで再会を誓うこともするが、舞い上がる風の中の桜花に、生きる力を得ることもできる。

人間がこの世に生まれたことの意味は、死ぬまで生きること。「人間の仕事は死ぬまで生きることです」と、浄土真宗の教えの前に立った頃、藤元正樹師に教えていただいた。死ぬまで生きるいのちを、人間性を捨てなければ生きられない戦争の時代に、どう人間を見捨てず生きぬくことができるだろうか。

人間は過ちを犯す、過ちを犯すのが人間だ。何事も縁だと、いつか聞いた。だが「戦争もその国の縁でした」でとどまっている僧侶がいるならば、「だからこそ」のひと言が足りないと言わなければならない。「だからこそ」、人は人間の規範として、いのちはいのちを殺してはいけないと。いのちを殺す戦争に反対しよう、と伝えなければならないはずだ。

「さるべき業縁のもよおせば、いかなるふるまいもすべし」(『真宗聖典』真宗大谷派出版部発行、634ページ)

宗祖親鸞聖人の人間把握のひと言は、弟子の唯円によって残された言葉は、人間は縁があれば人をも殺す、と言っている、私が人を殺さなかったのは、その縁がなかっただけだ。善人なんかじゃない、と悟られた深い教えだった。

何でも仕出かす人間だから、志願するのは平和。そして、戦争がない、ということだけが平和ではない。平和とは何か、と問い続け、たゆみなく平和を志向する精神だけが、人は人を殺さずに生きてゆける平和という大地を知るのだと思う。

今こそ兵戈無用を

危うい時代に欺瞞がはびこる。優しさの影に安易な同情が潜む。戦争を前提にした紛争の解決を言う人々の言葉は、戦争の悲惨な時を考える思考が停止している。

守るべき国とは何か。

靖国を問う時、私によぎるのは、美しい桜の木の下で再会を約束し、「英霊」となったという戦死者ではない。美化された死の悲しみだ。二度と戦争で死ぬことがないように、守るべき国は「自由と平等」を目指す自由がある国。それは生きて働いて、愛して、死ぬまで生きられる国のことだ。その国を志願することの自由は、私が私であることの自由。

閉じ込められた、いのちを取りもどし死者と共に生きよう。

「兵戈無用」。軍隊も武器も無い国こそが安穏な国と、教えられた仏教徒の一人として、沈黙を破り声を上げよう。

未来の時のため……。

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