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大正期「親鸞ブーム」を問い直す ― 近代日本の宗教≪8≫(2/2ページ)

龍谷大世界仏教文化研究センター リサーチ・アシスタント 大澤絢子氏

2017年4月26日

大正期の親鸞像と言った場合、真っ先に挙げられるのが、『出家とその弟子』である。無論、その反響と大正期の教養人である倉田の深い思考から生まれたことを踏まえれば、それは決して間違いではない。だが、『出家とその弟子』のみで大正期の親鸞像は語ることはできるのだろうか。また、親鸞ブームは果たして、『出家とその弟子』の成功をそのまま受けただけのものだと言えるのだろうか。大正期の親鸞ブームには、自己の問題として切実に親鸞に向かっていった倉田とは異なる一面があると考える。

例えば、親鸞ブームが起こる前後には、資本主義の発展や印刷技術の発達などによって新聞の規模が飛躍的に拡大し、マス・メディアが急速に成熟していく。このブームの嚆矢として活躍した石丸梧平の『人間親鸞』(大正11年、蔵経書院)も、『東京朝日新聞』等に連載されたものであり、それを受容する側も、信徒や知識人など特定のコミュニティーや階層に限らない不特定多数の読者であった。

石丸の作品には、現実の問題に苦悩する、より人間らしい親鸞が描かれており、愛や性の問題を宗教によって昇華させようとした倉田とは大きく異なっている。こうした所謂大衆読者へと向けられた親鸞像の内実は、さらに注目されるべきであろう。

特に新聞小説は、時事が掲載された紙面の一角で断続的に読まれ、しかも毎日配達されるという特異なメディアである。新聞の拡大によってそうした偶発的とも言える親鸞との接触が増加したことの意義は小さくないはずだ。

さらに大正3年には、東京雑誌組合や東京雑誌販売組合が発足して定価販売の実施に重要な役割を果たし、大正8、9年頃から全国的に書店の数が急増している。また、機械による大量生産と販売体制の充実が相俟って雑誌の出版が活発になることで多くの雑誌が創刊され、先の石丸は、独自に個人雑誌『人生創造』を刊行し、野依秀一なども大日本真宗宣伝協会を立ち上げ、大正11年に『真宗の世界』が創刊されている。

彼らをはじめとして、大小の雑誌では実に様々な人物が親鸞をめぐる独自の論を展開している。これらのなかには、宗教者から信徒へ、ではなく、大衆から大衆へ、そして大衆から宗教者、信徒へ向けられた、よりバリエーション豊かな親鸞像が潜んでいる。

親鸞という記号

その他にも、総合雑誌や週刊誌等のマス・メディア、同人雑誌等の小規模メディア、そして演劇や戯曲等の舞台芸術メディアの存在も忘れてはならない。そうしたこの時代のメディアの特性に応じて変化する親鸞像と、それを要請した消費者のニーズ、そして親鸞を求めるエネルギーがいかなるものであったのか、さらなる検証が求められる。

特にこの親鸞ブームにおいて顕著なのが、親鸞における性愛や結婚への注目である。そうした性的なものへの関心の高まりは、厨川白村『近代の恋愛観』(大正11年、改造社)や羽太鋭治『性及性慾の研究』(大正9年、前田書店)など、同時期の恋愛結婚至上主義や性欲論の流行ともぴたりと重なっており、親鸞における性の問題は、同時代の主要なトピックとして読者を引きつけたものと考えられる。

またこのブームは、賀川豊彦『死線を越えて』(大正9年、改造社)や江原小弥太の『新約』(大正10年、越山堂)などのキリスト教文学の隆盛と並列させて再考することも可能だろう。そこから、キリスト教と仏教をめぐる当時のコンテクストにおいて親鸞が喚び起こされたことの意義を練り直す必要もある。

このように、親鸞ブームには単に親鸞の流行という一面からでは捉えきれない問題が実に複雑に絡み合っている。大正期の親鸞像の根本には、人々が親鸞という記号を通して宗教(性)へと巻き込まれていく事態で発生する、消費者(読者)、作者、そして宗教の三者がうごめいているのではないか。大正期は、『出家とその弟子』だけでは語り尽くせない豊饒なる親鸞像で溢れている――。

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