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宗教と文化の専門新聞 創刊1897年
第22回「涙骨賞」を募集
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第22回「涙骨賞」を募集

「花祭り」の起源(2/2ページ)

龍谷大文学部教授 中西直樹氏

2018年4月6日

発起人は、本願寺派留学生の薗田宗恵、大谷派留学生の近角常観と池山栄吉、姉崎正治、巌谷小波、長岡外史、藤代禎輔ら18名であった。当日、来会者は300名に及んだが、内250名は現地のドイツ人であった。まず、ホテルの大小7間を借用し、広間の中央の壇上に種々の花束で飾った3尺(約90センチ)余りの御堂を据えて誕生仏を安置し、両側に薗田と近角が法衣を着けて持した。

午後8時に長岡陸軍大佐が日本語で開会の趣旨を述べ、ブロース判事が通訳した。続いて姉崎がドイツ語で花祭りの由来をクリスマスとの比較をまじえて説明し、日独協会の会頭ブルンが祝辞を述べ、巌谷が新作のおとぎ話を朗読した。最後に藤代が堂を飾った花を参加者に配り、余興として舞踏会が開かれた。会は盛況でドイツ人からも喝采をうけたとされる。翌年にもベルリンとストラスブルヒの2カ所で第2回花祭りは開かれた。このとき、近角はすでにドイツを離れていたが、かわってドイツ留学中の大谷派連枝大谷瑩亮らが参加した。

安藤嶺丸と仏教青年伝道会

花祭りを街頭で行い、一般に普及させた人物として忘れてならないのが、安藤嶺丸である。安藤は、明治3年に東京浅草の大谷派蓮窓寺に生まれ、同寺住職を継職した。

明治35年12月7日、安藤の呼びかけにより浅草伝法院で仏教青年伝道会の発起人会が開催された。当日参集した多くは浅草周辺の寺院関係者であり、そのネットワークから、新たな伝道活動を行うために会が結成されたのであった。

翌年4月1日、浅草公園内に15坪の天幕(テント)を張り、80日間にわたり第1回天幕伝道を実施し、以後、会の主要な恒例事業とした。天幕伝道は、寺院が葬祭の場となっている状況を嘆き、葬式や年忌法要で「家の宗派」として集まる信徒とは別に、新たな信者の獲得を目指してはじめられたものであった。

会は「仏教の根本義に依りて敢て一宗一派に偏せず」を綱領の第一に掲げ、唱歌伝道、避暑地伝道、文書伝道、郵便局員伝道、鉄道職員伝道など、さまざまな事業に取り組んだが、特に重要視したのが「仏誕会を奨励して国民的祭典たらしむること」であった。

明治38年に第1回釈尊降誕会を行い、浅草公園の天幕内に花御堂を設けて300余名の聴衆を集め、以後毎年の行事とした。明治40年4月には、仏教青年伝道会の主催により、来会者3800余名を集め「大日本仏教徒大会」が大谷派浅草別院で開催された。このとき、ピアノやバイオリン演奏の音楽法要で降誕会が催された。

各宗連合花祭り

大正5年、安藤は渡辺海旭・大森禅戒と協力して「東京連合花祭り会」を組織した。前年の12月に「仏教連合会(「全日本仏教会」の前身)が組織されており、仏教各宗派の協賛を得て「各宗連合花祭り」として盛大に行われることになった。

まず4月7日に、築地本願寺・浅草本願寺・増上寺・両国回向院・浅草公園仏教青年伝道会堂など10カ所で、「花祭り連合大伝道」が開催され、各宗派の名僧碩学が講演した。

翌8日には、在留スリランカ人が制作した花御堂を日比谷音楽堂前の広場に設営し、午後2時を合図に各宗派の代表・稚児数百名の行列が入場した。祝辞ののち、安藤が、花祭りの挙行を通じて、仏教徒として精神的団結を図り、世界平和と人類の幸福、国家社会への貢献を期する旨の宣言を読み上げた。

9日には東京の仏教系諸学校の学生ら数万人が集結し、少年音楽隊の先導により盛大な音楽法要が挙行された。夜には日本とインドの仏教徒の懇談会も開催された。期間中、仏教徒経営の工場で臨時休業するところもあり、日比谷警察署は、非番の巡査600余名を臨時召集して警備にあたったという。翌年以降、花祭りは、京都・大阪など全国へ広まっていった。

当時の『中外日報』の社説は、花祭りの普及を願いつつも、単なるお祭り騒ぎに終止するのでなく、仏教徒としてあり方を自覚反省する日にしたいとしている。今年も4月8日を迎えるにあたって、『中外日報』社説がいうように、仏教徒としての自己のあり方を改めて内省する日にしたいと考えている。

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