生成AIへの依存 宗教者が直面する課題は(6月24日付)
長女への暴行容疑事件でプロ野球巨人の阿部慎之助監督が辞任した。この事件で少なからぬ人が驚いたのは、長女が自分の受けた暴力に対する対処を、生成AIの「チャットGPT」に相談し、その回答結果に従って、児童相談所に連絡したことである。
生成AIに悩みを相談するだけでなく、それに従ってすぐ行動したことについては、日頃からAIに親しんでいる人だと、あまり違和感がないかもしれない。だがそうした行動パターンが生まれたことに対し、時代の変化を大きく感じる人もまた非常に多い。
家庭内暴力や精神的苦痛などがあった際に、解決の手だてを示してくれると期待されてきた職業の一つは宗教家である。とはいえ、そのような場合、自分のところに来てほしいと考えたり、発言できる宗教家はどれほどいるだろう。AI使用が広がると不要になる職業は何かという議論はよく聞く。実際に依頼が目に見えて減っている仕事もあるようだ。これから真剣に取り組まなくてはならない課題であることは間違いない。
宗教家が人々の日常的な悩みに即座に対応できるかどうかは、その宗教の組織形態や宗教家の個人的な立場の多様性故に、一概に議論できるものではない。神社や寺院は神職や僧侶にそれを主たる機能として課してはいない。キリスト教、新宗教などでは、神父・牧師や教師に、これを求める割合が神道や仏教宗派より強い傾向にある。それでもそのような違いを超えて、宗教界が真剣に考えるべき事態は目前になっている。
昨年、米国マサチューセッツ工科大のメディアラボの研究チームが、AIに思考を委ねることで短期的には作業効率が上がるが、長期的には人間の認知活動そのものが弱まる可能性を指摘し、これを「認知的負債」と評した。またAI依存で生じる負の側面については、より過激に「脳腐敗」と表現されることも増えている。
いずれも仮説であり、検討の余地を残す見解である。だが、AIに依存し過ぎると自身の判断力が低下していくのはどうも確かなようである。そのことを日頃信者たちと接する立場にある宗教家は、深く考慮して対処を考えるべき時代となった。
AI自体も使い方によっては「腐敗」することが指摘され始めている。そうしたAIの弱点をあげつらうよりも、宗教家としての日々の信者との向かい合い方について、改めて問い直すことが先決である。AIとの対話ではすくい上げられない悩みや不安が、山ほどあるのが現代社会である。








