二重疎外者への支援 「宗教二世」問題から(7月31日付)
「宗教二世問題の社会的構築」とのテーマで先日、宗教社会学の会で行われたカナダ・モントリオール大のアダム・ライオンズ准教授の発表は、「カルト」問題を超えて社会的疎外者への対応の重要性を強く示唆した。
日本の特に新宗教の研究が長い同准教授は、北米と日本の状況を比較しながら、「宗教二世」という言葉が社会に爆発的に広まった安倍晋三・元首相銃撃事件に関して、「山上マニフェスト」という概念を提示した。
「変な宗教の家」の子と世間から白眼視され、なおかつその教団内でも反発を表明するため排除され、つまり宗教的にも社会的にも二重の疎外状態に追い詰められた山上徹也被告が事件によってそれに逆襲。裁判で自らを「価値のない石ころ」と表明したことなども含めて、教団と社会の両方からの「二重疎外」状態を表明した。
現実の事件後の展開を見ると、これは個人のスティグマ(差別的烙印)の社会化、政治化であり、メディアがその拡大を担った、という位置付けだ。被告のような二重疎外者は「宗教二世」に限らず社会の多くの領域にたくさんおり、それへのケアが重要であることが浮き彫りになる。
二重疎外という類型は縦横座標の図式、つまり「社会」と、その社会に必ずしも融和性のないある種の「集団」とを想定し、縦軸の上方向が「社会になじんでいる」度合い、横軸の左方向が「集団になじんでいる」度合いとして縦横四つのエリアで示される。
左上カテゴリーは社会にも集団にも〝器用〟になじんでいる人。左下は社会からは爪はじきにされているが集団には融和している人、右上は社会生活は普通でも集団に溶け込めない人。そして右下が社会にも集団にも居場所のない「二重疎外者」だ。
こう見ると、「宗教」という要素を外しても、その「集団」を様々に想定してみれば多くの事象に通じることが分かり、特に二重に疎外された人にどう手を差し伸べるのかの問いも生まれる。
個人的スティグマが社会化、政治化する構造は、例えば一女性の被害から始まった性被害告発運動の「Me Too」や「保育園落ちた!」問題、生活保護打ち切りによる餓死に端を発する福祉行政告発などにも共通する。
社会からはじき出され、なおかつグループ的支えの手を振り切って二重疎外に落ち込んだ人へのケアは容易ではない。だが例えば野宿者支援で、「決して見捨てない」との粘り強い覚悟で僧侶や牧師による活動が各地で行われているように、信仰的信念に裏打ちされた宗教者の役割も大きい。





