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自殺と向き合い「聞き屋」に 父島で寺建立し20年

東京都小笠原村 浄土宗行行寺 吉田一心住職

行行寺の開山20年を期した6月の法要で参列者に挨拶する吉田住職=行行寺興隆会提供 行行寺の開山20年を期した6月の法要で参列者に挨拶する吉田住職=行行寺興隆会提供

東京都港区の竹芝桟橋から南に千㌔先にある小笠原諸島・父島で行行寺を建立してから20年。自殺と向き合う中で人の苦悩を見つめてきた経験が在家から僧侶となり、人々の苦悩に寄り添う「聞き屋」へとつながった。

学生時代、ライフセーバーとして活動し、心中した男女や服毒自殺者らの遺体を引き揚げた。自身の周りで自殺が多かったこともあり「人はなぜ自殺するのか」「死ぬことも苦しい」と考えた。日本赤十字社や商社勤務を経て応急手当ての普及を目的とする会社を設立。その後ダイビング業界に入り、世界的なダイビングスクールの日本校校長を務めた。

46歳で発心し僧侶の道へ。「学生時代の経験や支えてくれた人への感謝、競争社会に身を置いたことが背景にあった」。通信課程のある浄土宗の宗門校・佛教大で教師資格を取得し三重県鈴鹿市の南龍寺の住職を務めた。

ある時、父島在住の友人から「葬儀で困っている」と連絡が入った。父島には寺があったが太平洋戦争で焼失し、1968年の米国からの返還後も再建されず僧侶不在だった。

妻は亡くなり子どもたちは自立していた。南龍寺の後継者も定まっていたこともあり2003年に移住。全国で勧募に励み、4年後に行行寺を建立した。

聞き屋を始めたのもこの頃だ。「何もできないが話を聞く中で本人が答えを見つけられたら」との思いがあった。自殺を考える人が電話をかけてきたり、父島を訪れたりもした。「元気になる人もいたが今も苦しむ相談者もいる」と明かす。

自身の生活も孤独・孤立と隣り合わせで、まさに「独居老人」。数日誰も寺に来ないことがあり、島の中心部に出るのも週1回の買い出しの時だけ。また父島は台風の発生地に近く、週1回入港する「おがさわら丸」が欠航すれば食料が入ってこず苦労する。

朝と昼の勤行以外にも本堂で念仏を称え、阿弥陀如来と向き合うことで孤独を乗り越える。「念仏者は自殺しないのではないか」との確信も心の支えの一つだ。もちろん寂しさは募る。僧侶仲間に電話したり島内の友人に会いに行ったりする。

「内地にも被災地にも行けないしできることは限られる。でも話を聞いてほしい人がいれば聞き、浄土宗の教えを知りたい人がいればお伝えしたい。人の役に立ちたいな」

(椎葉太貴)

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