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井筒俊彦のオットー解釈 ―宗教の深みへの探究―(2/2ページ)

天理大教授 澤井義次氏

2020年3月5日 16時32分

一方、幼少の頃から、禅的体験を実践していた井筒は、『神秘哲学』において、「いずれの道を選ぶかは個々の神秘家の性格傾向の如何によるのみであり、いずれの道を辿っても、必ず最後には同一処に到達するのである」と論じている。彼独自の「東洋哲学」構想によれば、伝統的に継承されてきた東洋思想は、この存在世界が多層的構造を成す。それと同時に、存在リアリティの多層的構造に対応して、主観的意識も表層から深層に至る多層的構造を成しているという。

オットーはインドなどの宗教思想を比較宗教の視点から理解するときも、絶対他者(神)と有限な人間存在の関係という有神論的な概念的枠組みに依拠していた。彼は東洋と西洋の宗教のあいだに本質的に類似点を認めていたが、キリスト教神学の視点から、キリスト教の優越性を確信していたのだ。たとえば、キリスト教におけるキリストは、ヒンドゥー教のクリシュナや仏教の阿弥陀仏と「根本において同じもの」ではないと彼は言う。このように「魂・神秘主義」と「神・神秘主義」をめぐる両者の議論は異なっている。このことは、井筒がオットーの神秘主義論を踏まえながらも、オットーのキリスト教神学的視座をずらして、彼独自の「東洋哲学」的枠組みに引き寄せながらオットー解釈を試みたと言えるだろう。

「ヌミノーゼ」の意味論的解釈

井筒のオットー解釈を支える井筒哲学の根本的視座は、彼独自の「哲学的意味論」にあった。井筒の意味論的視座とは、宗教思想が形而上的体験あるいは深層体験の言語的な意味分節であることを特徴とする。東洋の宗教思想には、このような共通した思想構造が存在する、と井筒は言う。深層体験を日常言語によって表現しようとするとき、日常言語は内的に変質される。オットーはそうした言語を「イデオグラム」(解釈記号)と呼んだ。一方、そうしたコトバを井筒は「詩的言語」と呼ぶ。それは表面的には日常的に使用される言葉と全く同じ言葉ではあるが、存在あるいは意識の深みを示唆するコトバである。

そうした深層体験の限りない深みを、オットーは周知のごとく、「ヌミノーゼ」と造語した。それは聖なるものにおいて、言葉で把握することも表現することもできない非合理的な側面を示唆する。井筒が論じるように、「ヌミノーゼ」のシニフィアン(音声表象)とシニフィエ(意味表象)のあいだには、著しい不均衡性が見られる。既成の言葉には、社会慣習的な意味が結びついているが、オットーの言う「ヌミノーゼ」は、井筒によれば「意識のゼロ・ポイント」あるいは「存在のゼロ・ポイント」、すなわち全ての存在分節の根源である絶対無分節の状態を示唆する。それは言語的にいまだ意味分節されておらず、既成の意味のようなものが一つもない言語意識の深層を言説しようとする。

井筒は彼独自の「東洋哲学」を展開する中で、オットーの宗教論の中でも、「ヌミノーゼ」にしばしば言及している。このことは結論を先取りすれば、井筒が「東洋哲学」の構造の中に、オットーの「ヌミノーゼ」の含意をうまく取り込むことができたことを示している。そのことは、井筒の意味構造論が本質的にオットーの「聖なるもの」の構造論に対応していることを意味する。オットーが強調したように、宗教の本質は「聖なるもの」の体験であり、その内容はヌミノーゼの「感情」である。ヌミノーゼの感情はそれについて論じることは可能であるが、言葉による定義は不可能である。「ヌミノーゼ」は概念的には言説できず、ただ感得することしかできない。それが宗教の究極的源泉である。

井筒は言語以前の絶対無分節的な境位が、肯定的に根源的「有」と措定されるか、あるいは否定的に根源的「無」と措定されるかによって、東洋の形而上学は大きく二つに分かれるという。すなわち、それらは「有」の形而上学と「無」のそれである。井筒はそうした根源的思惟パターンを伝統的な東洋思想の諸伝統の中から汲み出した。

オットーはキリスト教神学研究をおこなうと同時に、東洋の宗教の中でも、インド思想に関心をもって比較宗教的研究もおこなった。彼は宗教の本質を「聖なるもの」の体験とし、その体験の内容を言語では表現できないヌミノーゼの感情として捉えた。オットーのそうした宗教理解の視座に、禅的体験に根ざした哲学的思惟を展開した井筒は強く惹きつけられた。井筒哲学は本質的にオットーの宗教論と共振する思想構造をもっていたと言えるだろう。

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