全国水平社創立100年に思う(1/2ページ)
兵庫県多可町立杉原谷小教諭 浅尾篤哉氏
1922年3月3日、被差別部落解放の自主的な運動団体である全国水平社が創立された。その日から100年になろうとしている。ここでは、初期水平運動に関わった一僧侶・新聞記者(三浦参玄洞)の動向と共に水平社が目指そうとしたものについてみていきたい。
水平社の主張をよく表現しているのが「水平社宣言」である。その宣言の中に、「人間を尊敬することによって自ら解放せんとする者の集団運動」という言葉がある。人間を尊敬しないことが差別であり、差別することの反対の意味は尊敬することだというのである。
あらゆる差別は、人間が尊敬されていないことによって起こる。長い間差別を受け、苦しんできた水平社に結集した人々が辿り着いた思想的な位置であった。当時、海外の報道機関は、日本の「人権宣言」と伝えた。
水平社が起こるすこし前、部落差別に抗議する運動が日本各地で起こってきたが、差別の原因を被差別部落が貧困であることとし、部落内部の改善により差別が無くせるとするものであった。だが、そもそも被差別部落が貧しくなったのは、差別によって排除されたことが原因であるから、差別がある限り経済的問題ですら解決できないことであった。
水平社は突如生まれたのではなく、そこには、被差別部落の歴史や差別を無くそうとしてきた人々の努力、当時の社会状況、思想的にはマルクス主義、キリスト教などがあったが、特に水平社に参画した青年たちには、親鸞の思想があったことはよく知られている。
水平社の発祥の地は奈良県であるが、水平社創立以前、同県に「大和同志会」という部落内部から起こった団体があった。その機関誌『明治之光』をみると、全国から寄せられた記事の中に、宗教に関するもの、それも被差別部落に深い関係のある浄土真宗の信仰や本願寺に対する記事が散見されるのである。
水平社創立に当たって、その趣意書「よき日の為めに」が、この「大和同志会」の会員名簿により発送されたことはよく知られている。水平社創立大会の決議の一つ、「部落民の絶対多数を門信徒とする東西両本願寺がこの際我々の運動に対して包蔵する赤裸々なる意見を聴取し其の回答により機宜の行動をとる」というものに、「大和同志会」の影響があるとする研究者もある。
水平社宣言を起草したとされる西光万吉は、浄土真宗本願寺派西光寺に生まれており、西光自ら水平社創立に立ち上がるうえで、親鸞の思想があったと述べている。その内容をよく表しているのが、「業報に喘ぐもの―大谷尊由氏の所論について 特に水平運動の誤解者へ―」という論文である。
それは、当時の大谷尊由浄土真宗本願寺派管長代理が、「親鸞聖人の正しい見方」という論文で、「自然に成り立てる差別は差別として、その上に人類平等の理想を実現しよう」とか、「親鸞聖人の同朋主義の価値は、これを法悦生活の上に体験せねばならない。社会改造の基調などに引きつけるにはあまりにもたっとすぎる」と、暗に水平運動を批判したことに対して反論したものである。
大谷の論文は、当時、『大阪毎日新聞』に発表されたが、西光は『中外日報』紙上において批判を展開した。「私はべつに社会を改造しようとするのではないが、自己の生の拡充は必然にそれをする。客観的にそれが善であるか悪であるかは知らぬが、生の拡充は客観的論理を越えた善である。それは『善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや』の願力不思議である。因果的必然は、私をして水平運動に参加せしめた」と言い、さらに、「それはもはや厭離穢土から欣求浄土への思想ではない。欣求浄土から厭離穢土への還相廻向であり、いわゆる必然の王国より自由の王国への躍進である」と述べた。