PR
購読試読
中外日報社ロゴ 中外日報社ロゴ
宗教と文化の専門新聞 創刊1897年
新規購読紹介キャンペーン
PR
2024宗教文化講座

沖縄摩文仁の丘の慰霊塔・碑文が語りかける戦争の記憶(1/2ページ)

大谷大教授 福島栄寿氏

2022年7月4日 11時37分
ふくしま・えいじゅ氏=1965年生まれ。大谷大文学部教授。博士(文学)。専門は近代仏教史。山口大大学院人文科学研究科修了、大谷大大学院文学研究科博士後期課程満期退学。真宗大谷派教学研究所研究員、札幌大谷大准教授等を経て、現職。著書に『思想史としての「精神主義」』(法藏館)等、論文に「明治期初期琉球における真宗布教に関する一考察―清原競秀『日々琉行之記』をめぐって」(『真宗研究』)第64輯等。日本近代仏教史研究会会長。

沖縄県内に建つ沖縄戦関係の慰霊塔・慰霊碑は440基を超える。それらの多くには碑文が併置され、塔・碑建立の由来、込められた願いなどの言葉が刻まれる。

碑文の多くは1950・60年代に建立されたままであり、その文面から当時の戦争や戦死者への認識が読み取れるが、本土側ではあまり注目されてこなかったのではないか。

糸満市の摩文仁の丘の「平和の礎」には訪れても、その奥に並び建つ慰霊塔・碑にまで足を運ぶ人は多くはないだろう。まして他県の碑文まで読む人は、である。かく言う私も、碑文を調査し(2016~18年)、『知っていますか? 沖縄県に建つあなたの都道府県の慰霊塔と慰霊碑を』(沖縄問題を考える懇談会、19年、以下『知っていますか?』)を編集するまで、じっくり読むことはなかった。忸怩たる思いである。

本稿では、戦後77年目の慰霊の日を前に、忘却されかかった碑文に注目し、そこに刻印された言葉が、私たちに問いかけてくるものが何かを考えてみたい。

沖縄戦関連の戦没者の慰霊塔・碑

1946年、終戦後初めて魂魄の塔(糸満市米須地区)が3万5千余人の遺骨を集めて建立された(79年に国立戦没者墓苑へ移骨)。その後、太平洋戦争・沖縄戦終結50周年に大田昌秀知事(当時)により建立されたのが平和の礎である。国籍や軍人、非軍人の区別なく、沖縄戦戦没者24万1632人(2021年現在)の名前を刻む。

大田氏は、平和の礎は、墓でも慰霊碑でも追悼碑でもない記念碑であり、それは戦争の愚かさ、痛ましさを学ぶ教材、学習教材だと述べた(金井創「慰霊から平和構築へ」『知っていますか?』所収)。大田氏は、慰霊塔・碑を次の5種類に分類している(同著『沖縄戦の教訓と慰霊 沖縄の「慰霊の塔」』、那覇出版社、07年)。

①都道府県の慰霊の塔
 ②守備軍将兵・無名兵士と住民を祀る慰霊の塔 例:黎明之塔(糸満市字摩文仁)、韓国人慰霊塔(同前)、南北之塔(糸満市字真栄平)、痛恨之碑(久米島)、平和之塔(座間味島)、集団自決之碑(渡嘉敷島)、チビチリガマから世界へ平和の祈りを碑(読谷村)他。
 ③職域・諸団体の慰霊の塔 例:島守之塔(糸満市字摩文仁)他。
 ④男女学徒隊を祀る慰霊の塔 例:ひめゆりの塔(糸満市字伊原)、ずゐせんの塔(糸満市字米須)、白梅之塔(糸満市字真栄里)他。
 ⑤沖縄県内市町村の慰霊の塔 例:招魂之塔(嘉手納市)他。

碑文の特徴とその分類

碑文もまた、その文言の意味合いから分類されている。ここでは、早くに都道府県の碑文に着目した平良修の分類(『戦争賛美に異議あり』沖縄キリスト者連絡会、1983年)と、真鍋禎男『沖縄 戦跡が語る悲惨』(沖縄文化社、2016年)を参考に碑文を読み解くキーワードとその意味を考えてみたい。

①美化・肯定(戦争・戦死の肯定、美化の響きをもつもの)
 碑文は、戦死した自県出身兵を英雄にまつり上げ、賛美する。「玉砕」「護国の楯」「散華」「英魂」「国に殉じ」という言葉が散見される。「しかし戦場の兵士たちは、そのような美しく威厳のある死では決してなかった」(真鍋)
 ②平和祈念(平和への願望・祈念を表すもの)
 ③懺悔・哀しみ(戦争への懺悔、哀しみを表すもの)
 ④反戦(反戦の決意・誓いを表わすもの)
 新潟県の碑文(15年建立)には、「平和の維持を希求」「不戦の誓いを新たに」との文言が見られる。しかし、「すべての碑文におしなべて言えることは、戦争罪責の告白が見られない」(平良)。
 ⑤沖縄友好(沖縄との友好、連帯等を表すもの)

重要文化財新指定の「中山法華経寺文書」その全貌 中尾堯氏5月1日

日蓮宗の大本山として知られる中山法華経寺の古文書839点が、令和5年度の国の重要文化財に新指定された。すでに指定を受けている国宝・重要文化財76点を加えると915点にも上…

「浄土宗の中に聖道門と浄土門がある」 田代俊孝氏3月18日

浄土宗開宗850年をむかえて、「浄土宗」の意味を改めて考えてみたい。近時、本紙にも「宗」について興味深い論考が載せられている。 中世において、宗とは今日のような宗派や教団…

文化財の保護と活用 大原嘉豊氏3月8日

筆者は京都国立博物館で仏画を担当する研究員である。京博は、奇しくも日本の文化財保護行政の画期となった古社寺保存法制定の1897(明治30)年に開館している。廃仏毀釈で疲弊…

共助への行動 地域社会と手を携える寺院(4月26日付)

社説5月1日

長期化するガザ侵攻 宗教と平和が問われている(4月24日付)

社説4月26日

病院の閉院・譲渡 宗教系病院の在り方とは(4月19日付)

社説4月24日
このエントリーをはてなブックマークに追加