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第22回「涙骨賞」を募集
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文化財の保護と活用(2/2ページ)

京都国立博物館学芸部教育室長 大原嘉豊氏

2024年3月8日 14時56分

いきおい政治に対しても、自分の身の回りから、地域を飛ばして、一気に国に関心が移りがちであり、選挙に基づく政治もそれに影響されざるを得ない。なまじインフラが整ってしまっただけに、公共事業悪玉論が蔓延している状況である。私などは高度経済成長期の伝統的な農村に生まれ、まだインフラが貧弱だった時代を知っているだけに、先人の恩恵を被りながら批判をする若い世代には複雑な気持ちを持ってしまう。高速道路などの物流インフラがなければ、アマゾンなどのEコマースは成立しないはずなのに。かつて、祖先伝来の土地・家産を守り、それを子々孫々に伝えるために、地域社会の発展を切望し、戦前の政友会・民政党の二大政党制下で利権獲得を巡って熾烈に争ったのが嘘のようである。そのような中で、過疎が進む地域に対しては移住を促すコンパクトシティ構想も生じている。経済・社会が成熟してしまった今日、税収に限界がある中、考えさせられる問題であり、その地の文化遺産・伝統をどうするかという問題もある。

さらに、地域の文化遺産活用には、もう一つ歴史的な制約もある。それは、地方の発展が、戦国時代からであり、文化遺産もそれ以降のものが主体とならざるを得ないという点である。

全国の田の耕地面積の変化を見ると、室町時代中期までは平安時代からあまり耕地面積は増えていないが、室町時代の後期から江戸時代初めにかけて倍増している。この間何があったか? そう、戦国時代である。戦国時代というと、暗黒時代と思われがちだが、実はそうではない。戦国大名は、富国強兵で自分の領地経営に力を入れたので、生産性があがったのである。この戦国時代の農地開発は、農民の可処分所得をも増やすことにもなり、これは商工業の発達に連動する。

浄土宗をはじめとする鎌倉新仏教は、成長を始めた庶民を射程にしたものだが、これが本当に庶民に浸透し、従来の宗派勢力を塗り替えるまでになったのをこの戦国時代と考え、「戦国仏教」という概念が近年提唱されている。

これは、文化の発達とも関連する。絵で食べていくのは現在でも大変なことだが、昔はもっと大変であった。購買層が必要だからであって、地方で絵師が食べていけるようになるのは、西暦1500年以降だと筆者は推測している。

越後三条の本成寺に第8世日現(1459~1514)の肖像画が残されているが(新潟県指定)、1501(明応10)年に●崎景良が描いたものである。この●崎は無名であるが、この土地の人物だったと考える。つまり、この頃には地方で絵師が活動できるほどの経済状況になったということを意味しており、こういう地盤から長谷川等伯(1539~1610)が能登から生まれてきたと私は考えている。

ところが、戦国時代以降の文化財は、数も増えるので、なかなか国指定になりにくい。箔が付けられないうえ、江戸時代との連続性が強いため、その価値認識が追いついていない。しかし、今や、親近感のあった江戸時代は遠くなり、時代劇への共感も低減する中で、かえって現代ではこの時代以降から昭和戦前期までの文化遺産は輝きを持つことになるのではないか。この価値観の転換によって、文化財を地域性を軸に観光資源としてどう売りにしていくか、文化財研究・保護の視座、観光戦略の在り方および観光資源をコーディネートできる人材育成を再考する必要があろう。

しかし、これには中長期的な視野が必要であり、過疎化の食い止めと建造物文化財などの破壊は、時間との戦いになる。文化財所有者の支援を含めた観光インフラの整備を予算面も含めてどのようにデザインできるかが直近の課題であろう。地方は、京都・奈良と同じ土台に立てないし、立つべきではなく、その地域の固有性にこそ観光需要喚起の活路を見出さないといけない。また、寺社の文化財所有者も、活用を求められるのであれば、自身の実情と必要な支援について声をもう少し上げてもよいと私は考えている。

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