在日留学生捏造スパイ事件で死刑判決を受けた 李哲さん(74)
軍事独裁政権時代の韓国で1975年に起きた「在日留学生捏造スパイ事件」で突然連行され、死刑判決を受けた。13年間に及んだ厳しい獄中生活の支えの一つはカトリックの信仰だったという。「イエスに出会わなければ耐えられなかったかもしれない」と話す。
池田圭
事件の概要は。
李 韓国では1961年に朴正煕によるクーデターで軍事独裁政権が始まります。当時、韓国と北朝鮮の間で諜報合戦が激しかったのですが、70年代に入るとスパイの摘発事例は少なくなっていきます。他方、70年代の初め頃から朴正煕政権は陰りが見え始め、学生や在野の指導者を中心に民主運動が組織化されていくようになりました。
こうした中、政権は北朝鮮のスパイの摘発を発表することで国民を萎縮させるようになります。そのためにスパイ事件をでっち上げる必要があり、日本から韓国に留学した在日の留学生がターゲットになりました。
私は熊本県出身の在日韓国人2世で、中央大在学中に民族意識に目覚め、韓国の同世代の青年たちと同じ時代精神を共有しながら自分のアイデンティティーを求めたいと韓国に留学し、事件当時は高麗大の大学院に在学していました。75年11月22日に中央情報部が「在日同胞留学生スパイ事件」を発表して不安になる中、同年12月11日に私も連行されました。妻との結婚式を2カ月後に控えていた時のことです。
取り調べの様子は。
李 日本で北朝鮮やマルクス、毛沢東などに関する本を読んだこともあり、それを正直に言えば帰してもらえると思いました。しかし「こんな本を読んだら北に行っていたはずだ」と自白を迫られ、「正直に言わないとお前の婚約者やその母を目の前で犯すぞ」と脅されたり、殴る蹴るの拷問を繰り返されました。
どんなに説明してもどうにもならず、「死ぬしかない」と舌をかんで死のうとしましたが、失敗しました。「何をやっても無駄」という脱力感で死人のようになりました。
結局「言うことを聞けば家に帰してやる」という言葉に期待するしかない心理状態になり、2回なら2回、3回なら3回と問われるままに北に行ったと言ったり、知りもしない北への行き方や北で会った人のことを、誰かが書いた過去の調書の書式を見ながら写し書きする形で調書が出来上がっていきました。
しかし、39日間の地下室での取り調べの後はソウルの拘置所へ送られ、「やはり彼らの言うことを信じ…
つづきは2022年11月9日号をご覧ください