「公共」という視点 固有の「善」を認め合う社会(10月2日付)
現代世界が直面する課題の一つに「民主主義の危機」がある。社会学者の大澤真幸氏は、多くの国で民主主義の理念とシステムが困難に直面し、民主主義への信頼が低下している背景に、資本主義との関係性の変化があると指摘している。ソビエト連邦崩壊による冷戦の終結は、自由民主主義の輝かしい勝利と考えられたが、21世紀に入ってから状況は変わり、一党独裁の社会主義体制を維持する中国が目覚ましい経済成長を遂げて影響力を増している。勝ったのは民主主義ではなく「資本主義」だった、というわけだ。
民主主義の低下については、スウェーデンの調査機関が公表した「民主主義リポート2023」が「世界の民主主義のレベルは、1986年時点と並ぶ水準まで低下した」と警告した。選挙の質、個人の権利、報道や結社の自由などをもとに算出した「自由民主主義指数」は冷戦終結前の低水準まで落ち込み、さらに悪化の方向をたどり、世界の総人口の72%、57億人が強権的な体制のもとで生活していると報告している。
民主主義が機能不全に陥っている要因として、自由主義圏の資本主義経済が生んだ富の偏在と社会の分断、そして層の厚い中間層に支えられてきた「中流意識」の消滅が挙げられる。こうした現実から、どのような社会体制が求められるかを考えるとき、アメリカの政治哲学者マイケル・サンデル氏が提起する「公共哲学」の視点に示唆するものがある。サンデル氏は「道徳や宗教を徹底的に締め出す政治は幻滅を呼び起こす。政治論議に道徳的な響きが欠けていれば、意義のある公共生活への憧れが好ましくない形で現われる」(『公共哲学』ちくま学芸文庫)と述べ、道徳不在の政治が、かえって偏狭で不寛容な道徳的実践を公共の場に呼び込むことに注意を促している。
思想信条の異なる人たちが共に生活する社会では、それぞれの主体性と自由な意思を尊重することで自由と民主主義は守られると考えられてきた。しかし、多元社会と呼ばれる現代においては個の自由だけでなく、他者の自由を承認する相互理解と、そうした社会に必要な道徳的価値観が求められているということだろう。
相互理解と相互尊重は多元社会にふさわしい理想でもある。道徳や宗教を巡る意見の不一致もまた、多様性を反映するものである限り、異なる意見を持つ人々が、それぞれの価値観に基づく固有の「善」を互いに認め合う基盤となる。そこから民主主義に道徳・宗教的な響きと「公共の責任」を伴う社会の在り方が見えてくるのではないだろうか。








