PR
購読試読
中外日報社ロゴ 中外日報社ロゴ
宗教と文化の専門新聞 創刊1897年
第22回「涙骨賞」を募集
PR
第22回「涙骨賞」を募集

放射能禍と宗教者の責任 ― タヒチに“世界の声”集める(2/2ページ)

NPO法人「東北ヘルプ」事務局長、牧師 川上直哉氏

2014年7月30日
3.フクシマの「石」

私たち「東北ヘルプ」は、「ムルロアは我らと」の事務局長ジョン・ドゥーム氏に直接呼びかけを受けた。フクシマの石を持ってきてほしい。「ムルロアは我らと」の催事は、タヒチ・パペーテ市で行われる。そこには5メートル四方の小さなモニュメントがある。そこにはヒロシマ・ナガサキ・アルジェリア・セミパラチンスク・フィジーの石がプレートと共に据え付けられている。全て、被曝者が魂を込めて持ち寄った石であるという。「私たち南太平洋の人間は、石こそ全ての基本、魂の象徴と考えるのだ」と、ドゥームさんは語った。そして、フクシマの石を、と仙台で依頼を受けた。

私たちは、原発20キロ圏の砂を、仙台のガラス工房「海馬」にお持ちした。この工房の主人は、テレビの企画として浪江町に作られた「DASH村」の技術指導者であった。工房は心を込めて砂をガラスに変えてくれた。それを持って、筆者はタヒチへ旅立った。

4.政治という難題

タヒチへ向かう直前、一人の日本人から、連絡が入った。タヒチ大統領が、「ムルロアは我らと」の会場となるモニュメントを撤去すると決めた、というのである。それに反対する請願書があるので、タヒチへ持ち込んでほしいと、依頼が添えてあった。

私たちは悩んだ。「東北ヘルプ」は支援団体である。反原発団体ですらない。そして私たちの多くは、宗教者である。政治運動とは、いつも慎重に距離を測ってきた。しかし事柄を議論し吟味している時間はなかった。そして、放射能禍を見据えるとき、政治の問題はいつか近づくことであると覚悟を決めた。

催事の2日前、筆者は大統領府へドゥーム氏らと請願を持ち込んだ。パペーテのモニュメントは、声なき被曝者の声を世界に響かせる貴重な場所である。そこが失われることに痛恨の念を覚える。異国の宗教者であることの躊躇を超え、ここに曲げて私たちの声を届ける次第だ――そう伝えた。テレビも新聞も、私たちの行動を広く伝えた。大統領は、その日の夜、テレビのインタビューに答え、そもそもモニュメントを破壊する意図はなかった、と明言した。

そして、7月2日の催事の日となった。太平洋の各地から、300人を超える人々が集まった。

5.声なき声と共に生きる

贈呈式において、筆者にスピーチが要請された。筆者はこう訴えた。フクシマでは、通常の60倍に達する小児甲状腺の特別な異常が認められ、50人の子供が甲状腺を切除し、その執刀医は事態が深刻であると証言した。しかし、公的には放射能の影響はない、とされている。すでに千人を超える震災関連死が確認されているのではあるが、私たちも徐々に安全なのではないかと感じだしている。そして、私たちは太平洋を汚染している。あふれる汚染水をどうしてよいかもわからない、惨めな状態である。深いお詫びと共に、宗教者として要請したい。私たちのために祈ってほしい。祈りは、私たちを一つにする。私たちは、政治的・社会的に翻弄され、砂のようにバラバラになってしまった。しかしこの「フクシマの砂で作ったガラス塊」を見てほしい。このガラスのように、惨めな私たちを、祈りの炎が一つにしてくれると信じる。どうか、私たちのために祈ってほしい。

太平洋に対して、私たちは加害者の立場である。私たちの原発が、美しい海を汚している。しかし太平洋の人々は、私たちのために祈ってくれた。私たちの石は、ヒロシマ・ナガサキの石と共に、世界の声なき被曝者の石の脇に据えられるという。太平洋の人々は私たちと共に生きることを、祈りを込めて、表明してくださった。

さらにタヒチの人々は教えてくれた。太平洋には、知られざる放射能禍がなおあふれている。例えば、ハワイから西側(米国の反対側)へ500キロほど進むと、ジョンソン島がある。そこには米国の核廃棄物が大量に埋設され、しばしば崩落を起こし、その地の作業員は完全防御を余儀なくされている。

私たちが汚染している太平洋には、声なき声がある。そしてその人々の温かい寛容が私たちに示された。宗教者として生きる一人の人間として、筆者は「責任」を感ずる。赦された者の伸びやかさをもって引き受ける責任。声なき声と共に生きることの決意である。その小さくも確固とした思いをここに示し、このタヒチでの報告を終える。

三木清 非業の死から80年 岩田文昭氏10月27日

三木の思索の頂点なす著作 三木清(1897~1945)が豊多摩刑務所で非業の死をとげてから、今年で80年を迎える。彼が獄中で亡くなったのは、日本の無条件降伏から1カ月以上…

《「批判仏教」を総括する⑦》批判宗学を巡って 角田泰隆氏10月20日

「批判宗学」とは、袴谷憲昭氏の「批判仏教」から大きな影響を受けて、松本史朗氏が“曹洞宗の宗学は、「伝統宗学」から「批判宗学」に移行すべきではないか”として提唱した宗学であ…

《「批判仏教」を総括する⑥》縁起説と無我説を巡る理解 桂紹隆氏10月17日

「運動」としての批判仏教 1986年の印度学仏教学会の学術大会で、松本史朗氏が「如来蔵思想は仏教にあらず」、翌87年には袴谷憲昭氏が「『維摩経』批判」という研究発表をされ…

宗教法人の悪用防げ 信頼回復のための努力を(10月31日付)

社説11月5日

意思決定支援の試み その人らしさの重要性(10月29日付)

社説10月30日

社会的支援と宗教 救われると信じられるか(10月24日付)

社説10月28日
  • お知らせ
  • 「墨跡付き仏像カレンダー」の製造販売は2025年版をもって終了いたしました。
    長らくご愛顧を賜りありがとうございました。(2025.10.1)
  • 論過去一覧
  • 中外日報採用情報
  • 中外日報購読のご案内
  • 時代を生きる 宗教を語る
  • 自費出版のご案内
  • 紙面保存版
  • エンディングへの備え―
  • 新規購読紹介キャンペーン
  • 広告掲載のご案内
  • 中外日報お問い合わせ
中外日報社Twitter 中外日報社Facebook
このエントリーをはてなブックマークに追加