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第22回「涙骨賞」を募集
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放射能禍と宗教者の責任 ― タヒチに“世界の声”集める(1/2ページ)

NPO法人「東北ヘルプ」事務局長、牧師 川上直哉氏

2014年7月30日
かわかみ・なおや氏=1973年生まれ。神学博士(立教大)。東京基督教大職員、日本基督教団仙台市民教会主任担任教師を経て、現職。宮城県宗教法人連絡協議会常任幹事、仙台白百合女子大カトリック研究所研究員。

7月2日、南太平洋・タヒチの首都パペーテにて、「ムルロア・エ・タトゥ」という催事が開催された。この語の意味は「ムルロアは我らと」である。そこに、「フクシマの石」の贈呈が行われた。筆者は仙台キリスト教連合が設置した支援団体「東北ヘルプ」の事務局長として、その贈呈の任に就いた。放射能禍に向き合う先輩であるタヒチへの旅を、以下に報告する。

1.経緯

福島第1原子力発電所の爆発事故は、私たちの地球を深く広く傷つけた。それは世界の問題でもある。国内では他の問題の中に埋もれるようにして、関心が薄れている感がある。しかし海外の関心はたかまっている。とりわけ今「集団的自衛権」関連の政治的騒動とも相まって、国際的な関心は日本に向いている(YouTubeで「Fukushima HBO」と検索していただきたい。海外の目を、追体験できるだろう)。

私たち「東北ヘルプ」は、キリスト教団体として、世界と共にフクシマを支援し、世界にフクシマを伝えている。日本の教会は、放射能禍を世界に発信した実績がある。例えば、1946年にヒロシマ・ナガサキに至った空爆の惨禍を米国諸教会に直接証言した植村環牧師がいる。時まさしく冷戦開始直後であり、ソ連に対抗するための重要な役割を核兵器に期待していた米国であった。

しかし、日本の戦争責任の告白と共になされるそれらの証言は少なくない波紋を呼んだ。その植村牧師は、原爆被害が米軍の機密指定を解除された後すぐ結成された「原水爆禁止署名運動全国協議会」の責任者となり、世界に核廃絶を訴え続ける。そして54年、米国エバンストン市で行われた第2回世界教会協議会総会は、「たとえそれが、どんな手続きを踏み、どんな目的を持っていたとしても、無防備の市街に住む人々を大量に破壊する核兵器の使用に対して、教会ははっきりと異議申し立てをしなければならない」という声明を、全世界のプロテスタント教会の正式な総意として、ほかならぬ米国で表明したのであった。

そして2011年のフクシマがあり、再び世界のキリスト教会は動いた。以後、会津・釜山・仙台・ジュネーブで国際会議が開かれ、14年7月、核兵器のみならず核エネルギーそのものを拒否する世界教会の態度決定が定まった。

その運動の中で、ニュージーランドを仲立ちとして、「東北ヘルプ」とタヒチとのつながりが生まれた。タヒチには、世界の被曝者の声を集める場所があるという。タヒチの指導者は、私たちにもその場所へ集まるよう、呼びかけてくれた。

2.世界の被曝者

1945年以来、世界では2千回を超える核爆発が行われた。その最初は米国「トリニティ実験場」で。2回目は広島で。3回目は長崎で。そしてその後、大量の核実験が地球を覆った(詳しくは、YouTubeで「Isao Hashimoto」と検索されたい)。その結果、大量の放射能禍が引き起こされたはずである。しかし、54年の「第五福竜丸」事件以外、私たちは何も知らないで今日まで来た。フクシマの出来事の後、私たちは知った。世界には、巨大な放射能禍があったのだ。それを知らないできた不明を恥じる。

66年7月2日、タヒチから千キロ離れた島で、フランスが核実験を行った。タヒチの教会指導者は、爆音を聞き、キノコ雲を目撃して、初めてそれを知る。場所は無人島であるムルロア。周辺の島民は実験作業に従事させられていたが、「健康被害はない」とアナウンスされた。おかしいと思っても、それを声に出すことはできなかった。タヒチとその周辺は、フランスの植民地であったからだ。

しかしタヒチの教会指導者はあきらめなかった。200回近い核爆発に耐えながら、励まし合い、世界とつながり、そして2001年7月2日から、「ムルロアは我らと」と題する催事を行うに至る。人々が団結して申し立てた異議申し立ては、フランス法廷で審理され、ついにフランスが三つほどの島々の被曝を認めるに至る。20世紀の間、声を上げられなかった被曝者は、ついに、その苦しみの声を上げたのであった。

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