【戦後80年】被団協ノーベル平和賞受賞の歴史的意義(2/2ページ)
龍谷大名誉教授 武田龍精氏
さて、被爆80年という節目の前年である昨年は、日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)のノーベル平和賞受賞の歴史的意義とその精神を考える年となった。
ノルウェー・ノーベル委員会は授賞理由に「核兵器の使用は道徳的に容認できないという強力な国際規範」の形成に広島と長崎の「ヒバクシャ」の証言が大きく寄与したことや「彼ら歴史の証人たちは、それぞれの体験を語り、自らの経験をもとにした教育運動を展開し、核兵器の拡散と使用への差し迫った警告を発することで、世界中に幅広い反核機運を生み出し、それを強固にすることに貢献してきた」などを挙げている。
核兵器は絶対的に「道徳的に容認できない」という「強力な国際規範」が形成されたと捉えられた。その規範は単に広島・長崎という二つの都市に限定されるものではなく、「国際」という国境を越えたものであるということが、重要視されなければならない。われわれが十年来主張してきた、「核兵器は、もはや国家論的武器ではなく、宇宙論的武器である」という趣旨が見事に結実したと言えるのではなかろうか。
「歴史の証人たち」の行動分析も私たち「ヒバクシャ」にとって、ありがたい。ここで評価された反核運動こそ人類普遍的な活動となっていくことであろうし、またそうならなければならない。核兵器の本質は、一切の国家・民族のすべての境界ボーダーを無意味なるものとして超え、全人類を死滅せしめ、さらに地球をも破壊せしめかねないほどの宇宙的破壊力にある。そのような宇宙論的武器を国のリーダーたちの国防手段にされてしまってはならない。
かかる点を授賞理由は実に的確な表現で以下の如く述べている。「ヒバクシャは、筆舌に尽くしがたいものを描写し、考えられないようなことを考え、核兵器が引き起こす、理解が及ばない痛みや苦しみを我々が理解する一助になっている」と。
「ヒバクシャ」の心理描写がこれほどにまで描かれた文章を寡聞ながら私自身は知らない。核兵器の恐怖は人間の想像をはるかに超過しているという事実が、絶対現在のうちに、永遠の今として、覚証されなければならない。この覚証への最強なる志向こそが、被爆者におけるノーベル平和賞受賞の国際的意義だろう。
「いつの日か、私たちのなかで歴史の証人としての被爆者はいなくなるだろう」と、委員会は警鐘をならす。私自身もその証人の一人であるが、あと十数年過ぎると、実地に被爆を体験したひとは、ほとんどこの世からは消失してしまう。そうなってしまうと想像力にたよるほかない。体験することと想像することとの違いは、出来事に対する恐怖・危機感に関して、全く質的に異なる。
これへの対策の一例として、委員会によって提示された次の授与基準の評価のうちに、そのヒントが考えられるのではなかろうか。「記憶を残すという強い文化と継続的な取り組みで、日本の新しい世代が被爆者の経験とメッセージを継承している。彼らは世界中の人々を刺激し、教育している。それによって彼らは、人類の平和な未来の前提条件である核のタブーを維持することに貢献している」
記憶(memory)を残すことは過去の出来事を将来に伝える手段として不可欠な努力である。記憶は老化によって加速度的に退化する。したがって記憶は言葉・映像・造形・その他のコミニケーション・ツールによって、留められねばならぬ。そして「強い文化」にまで昇華させねばならない。
そして経験とメッセージの継承である。経験は実践であり、メッセージは理論である。経験が理論化されるとき、真のメッセージが生まれる。そしてそのメッセージは、次世代の真の実践を生む。その実践こそ新世代における真の経験であり、生産的な歴史を創造する経験である。
そうして昇華された文化と創造的な歴史のプロセスこそ、民族・国境・言語を超えて世界中の人々を刺激し、勇気を奮い立たせる教育を要請するといえる。かかる教育こそ、幼稚園・小学校・中学校・高等学校・大学・大学院・社会人教育のいかなるレベルのプログラムにも施されなければならない教育課目であろう。
今こそ、すべてのレベルにおける教育プログラム(教程)の中に各自の能力に応じて(Ⅰ)核兵器とは如何なる武器かに関するプログラム(Ⅱ)核兵器による核戦争とは如何なる戦争かに関するプログラム(Ⅲ)独裁者による独裁政治とは如何なる政治を断行してきたかについての歴史的プログラム、――という三つの教育プログラムが必修科目として、組み込まれるべきではなかろうか。
かかる教育プログラムこそが、「人類の平和な未来の前提条件である核のタブーを維持すること」となることを私は確信している。
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