PR
購読試読
中外日報社ロゴ 中外日報社ロゴ
宗教と文化の専門新聞 創刊1897年
新規購読紹介キャンペーン
PR
2024宗教文化講座

公共宗教論のこれまでとこれから ― 日本宗教学会大会シンポ報告(1/2ページ)

筑波大教授 津城寛文氏

2015年12月11日
つしろ・ひろふみ氏=1956年、鹿児島県生まれ。筑波大人文社会系教授。博士(宗教学)。著書に『日本の深層文化序説――三つの深層と宗教』(玉川大学出版部、1995)、『〈公共宗教〉の光と影』『〈霊〉の探究――近代スピリチュアリズムと宗教学』(春秋社、2005)、『社会的宗教と他界的宗教のあいだ――見え隠れする死者』(世界思想社、2011)、訳書にホセ・カサノヴァ『近代世界の公共宗教』(玉川大学出版部、1997)など多数。
英米から著名学者

日本宗教学会の第74回学術大会が9月第1週に東京都八王子市の創価大で開催された。初日の恒例となっている公開シンポジウムは「宗教の未来 宗教学の未来」と題し、講演者にジェイムズ・ベックフォード氏(英ウォーリック大学名誉教授)、ホセ・カサノヴァ氏(米ジョージタウン大学教授)という高名な宗教社会学者を招いた、とりわけ豪華なものであった。

開催校(創価大)特別企画の二つのパネルも、それぞれ両氏をコメンテーターに迎えた。カサノヴァ氏が「近代日本における公共宗教と宗教の公的役割」パネルに参加されたこともあり、「公共宗教」にスポットライトが当てられた印象もあった。

カサノヴァ氏は、もはや現代の古典となった『近代世界の公共宗教』(1994)において、「public religion(s)」というタームを世に送り出した当事者として著名であり、講演では、公共宗教の目指すべき方向を、端的に「グローバルな宗教諸派の共生 global religious denominationalism」として主題化した。

「複数形」で論じる

デノミネーショナリズムというのは、普通はアメリカの宗教状況を指して、キリスト教の多くの宗派教派その他が、共生、棲み分けをしていることを表現するタームである。別の言葉では、多様な宗教状態、宗教多元主義というタームでも、説明できる。共存というからには、不承不承であれ、諸宗教の関係は平和的でなければならない。紛争や抗争が爆発するのは、公共宗教のあり方としては、失敗なのである。このモデルを世界全体に及ぼすことで、諸宗教が多様に共存するビジョンを描くのが、グローバルなデノミネーショナリズムである。

このデノミネーショナリズムというビジョンに関連して、カサノヴァ氏が『近代世界の公共宗教』以来、公共宗教を一貫して複数形で考えてきたことに、注意を促したい。「公共宗教」の翻訳紹介者である私は、訳業のあと数年の試行錯誤を経て、近代日本宗教史を事例とし、オリジナルな理論化を試みる、『〈公共宗教〉の光と影』(2005)を公刊した。

排外性防ぐ相対性

そこにおいて、単数形で公共宗教を論じる他の研究と、カサノヴァ氏の複数形の公共宗教論を対比して、複数形で捉える立場を支持した。かつ、私は(公共)宗教の目指すべき方向を、諸宗教を包括する「宗教そのもの」のビジョンにおいている。多元主義やデノミネーショナリズムは、このようなバーチャルな理想を目指すプロセスで、思考可能なものとなると私は思う。

遡って考えると、ナショナリズム的性格を批判されるベラーの市民宗教論ですら、結論部で、アメリカの市民宗教は、最悪の場合、帝国主義を正当化する危険がある、そうならないために「世界の市民宗教」というビジョンが不可欠だと指摘していた。じつは、ベラーがこのように言わざるを得なくなった「最善の市民宗教」とは、ルソーのいう意味での「市民宗教」よりも、それと区別されるべき、理想的な「人間の宗教」に近付いている。

市民宗教にせよ、公共宗教にせよ、狭い範囲に固着し、排外的、抑圧的になることを防ぐためには、複数性(つまり相対性)はつねに念頭におくべき要点である。「公共宗教」も「市民宗教」と同じく、ナショナリズム的に受け取られやすい論争的なタームである。それは、「市民社会」その他の「公的領域」が、国家という圧倒的な政治的強制力をもった領域と一部重なっているからである。そのナショナルなものへの有害な固着を克服したとき、公共宗教論は、はじめてグローバルな共通善に貢献したことになるだろう。

「浄土宗の中に聖道門と浄土門がある」 田代俊孝氏3月18日

浄土宗開宗850年をむかえて、「浄土宗」の意味を改めて考えてみたい。近時、本紙にも「宗」について興味深い論考が載せられている。 中世において、宗とは今日のような宗派や教団…

文化財の保護と活用 大原嘉豊氏3月8日

筆者は京都国立博物館で仏画を担当する研究員である。京博は、奇しくも日本の文化財保護行政の画期となった古社寺保存法制定の1897(明治30)年に開館している。廃仏毀釈で疲弊…

語り継がれるもうひとつの神武天皇陵 外池昇氏2月29日

神武天皇陵3カ所 江戸時代において神武天皇陵とされた地が3カ所あったことは、すでによく知られている。つまり、元禄の修陵で幕府によって神武天皇陵とされ文久の修陵でその管理を…

アカデミー賞2作品 核問題への深い洞察必要(4月17日付)

社説4月19日

人生の学び 大事なのは体験で得た知恵(4月12日付)

社説4月17日

震災犠牲者名の慰霊碑 一人一人の命見つめる(4月10日付)

社説4月12日
このエントリーをはてなブックマークに追加