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釈尊と摩訶迦葉―釈尊教団形成史と釈尊の生涯④(1/2ページ)

釈尊伝研究会研究員 本澤綱夫氏

2020年4月9日 15時50分
もとざわ・つなお氏=1935年生まれ。京都府出身。東洋大大学院文学研究科博士前期課程修了。修士(文学)。専攻は律蔵。主な業績に「摩訶迦葉の研究」「提婆達多の研究」(共著『中央学術研究所 モノグラフ篇』第9、11号)など。

釈尊は35歳で成道され、成道直後の一時期、布教には躊躇されたこともあったが、梵天勧請により布教を決意されてからは80歳で入滅されるまで布教に尽力され、釈尊教団の形成に努められた。この間、教化された弟子には舎利弗、目連、阿難等がよく知られているが、摩訶迦葉(大迦葉)はその教団に対する貢献があまり知られていない。今回、摩訶迦葉を取り上げるのは、主として釈尊教団に対する彼の功績を明らかにするためである。

はじめに摩訶迦葉の生い立ちを見てみたい。彼はマガダ国の首都ラージャガハ(王舎城)近郊の富裕なバラモンの出身とされている。幼名をピッパラーヤナと言い、釈尊よりも13歳年長であった。マッダ国サーガラー市出身のバラモンの子女バッダーカピラーニーと結婚し、12~3年間の結婚生活の後、家住期の義務を果たした後に林住期の生活に入って梵行を修すること12年ほどしてから、隠遁的・頭陀行的な遊行生活に入った。摩訶迦葉はこの遊行時代にすでに修行中の釈尊と面識があり、もしどちらかが先に阿羅漢になったら互いに師となり弟子になろうと約束しあったとされている。そして先に成道された釈尊が王舎城を中心に活動されている時、摩訶迦葉の消息を知って、わざわざ王舎城から多子塔の所に会いに行ったとされる。

釈尊の弟子になる入門の儀式を具足戒というが、この儀式は釈尊自ら直接許可する「善来比丘戒」から、仏法僧の三宝に帰依する三帰具足戒へと改められ、最後に10人以上のサンガの羯磨によって出家が許される「十衆白四羯磨具足戒」が制定されて、以後は全ての出家修行者は、これによって比丘となることになった。現代のスリランカやタイなどで行われている入門儀式もこの具足戒である。しかしながら摩訶迦葉はこのような具足戒を受けたのではなく、修行時代の約束のように「あなたが師、私が弟子」と宣言することが具足戒(自誓即得戒と呼ばれる)であったとされる。したがって釈尊と摩訶迦葉の関係は師と弟子というよりも同志であったといった方がよいのではなかろうか。

彼は頭陀行第一と称されるが、これは遊行時代の生活様式を継続したものとみられる。頭陀行とは具体的には四依法(糞掃衣、乞食、樹下座、陳棄薬)による生活であり、摩訶迦葉の衣に関わる伝承は数多くある。例えば、彼が仏の教えに入門してほどないころ、釈尊に従って遊行しているとき自分の着ていた僧伽梨に座っていただいたことがあった。その時、釈尊は「迦葉よ、此の衣は軽細なり、此の衣は柔軟なり」と言われたので、彼は「どうかこの衣を受け取って下さい」とお願いした。釈尊は「お前は私の糞掃衣を受けよ。私はお前の僧伽梨をもらおう」と言われ衣を交換した。

また摩訶迦葉が老年になった時には「糞掃衣は重いから居士衣を着なさい」と言われたが、「自分は長年頭陀行をやってきたので今後も続けたい」と宣言し、釈尊に讃められたという。この衣の交換は師の衣鉢を継いだものとみなされているが、この他にも摩訶迦葉が釈尊の法の嗣子であるという論拠も示すものに「半座を分かつ」エピソードがある。

摩訶迦葉は阿蘭若処(町や村から離れた静かな園林)に住んでいたので、鬚髪をぼうぼうにして弊納衣を着て現れた。それを見た比丘たちが軽慢心を起こしたので、それを知られた釈尊は座っていた座席の半分を譲り(半座を分かち)、「摩訶迦葉は自分と同じ禅定を得ている」と讃められた。またある時、釈尊が説法の席で1本の花を手にとって比丘たちに示したところ、皆は何のことか分からず黙っていたが、摩訶迦葉のみがその意味を理解してにっこり微笑した。そこで釈尊は摩訶迦葉に法を伝えたという伝承があり、特に禅宗では教外別伝、不立文字を示す拈華微笑の逸話として有名である。

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