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釈尊と摩訶迦葉―釈尊教団形成史と釈尊の生涯④(2/2ページ)

釈尊伝研究会研究員 本澤綱夫氏

2020年4月9日 15時50分

そして釈尊の入滅にかかわる事績である。釈尊は80歳になられた時、阿難らを連れて最後の旅に出られた。途次ヴァッジ国のヴェーサーリーにおいて体調不良を感じられ、3カ月後に入滅することを宣告された。王舎城にいた摩訶迦葉はこの報告を聞いて、釈尊の後を追って旅に出たが、パーバーからクシナーラーへ向かう途中で外道に遭って、彼から釈尊がすでに般涅槃されたことを聞いた。クシナーラーの人たちは釈尊の遺体を天冠寺に安置し火葬に付すべく、葬儀委員長たる摩訶迦葉の到着を待っており、彼の到着を待って火が付けられた。

その後、遺骨を要求する8カ国が分配を巡って争ったが、ドーナ婆羅門の仲介により8分され、それぞれが持ち帰って舎利塔を建設した。1898年、イギリス人のペッペがピプラーワーで一個の壺を発見し、その書体から、この分配された骨壺の一つであろうと推測されている。この舎利の一部は日本に分与され、名古屋市の日泰寺に祀られている。

釈尊の入滅を聞いて嘆き悲しむ修行僧たちの中でスバッダという比丘が「友らよ、悲しむな、嘆くな、我らはかの偉大な修行者からうまく解放された、このことはしてもよい、このことはならないといって、我々は悩まされていたが、今これからは我々は何でもやりたいことをしよう」と言った。これを見た摩訶迦葉は、このような状況下では釈尊の教えが早い時期に滅びてしまうと痛感し、釈尊の教法を確認しあう会を行うことになった。これを第1次仏典結集というが、摩訶迦葉はこの会のリーダーとなり、500人の比丘の選定を行い王舎城での雨安居の時期に合わせて行われた。阿難はこのとき阿羅漢果を得ていなかったので、摩訶迦葉がそれゆえにこの結集のメンバーから外そうとしていることを聞いて、発奮して阿羅漢果を得、最後の500人目に選ばれた。

こうして釈尊教団の経と律とが釈尊入滅後も統一的に受け継がれたので、新しい宗教集団が陥りやすい創業者亡き後の分裂騒ぎ等もなく継続されたのであり、この間における摩訶迦葉の役割は非常に大きなものがあった。この時には、舎利弗・目連はすでに亡くなっていたが、サンガの中では何よりも優先される法臘順位が必ずしも最上位でなかった摩訶迦葉がこの役割を果たしたのは、摩訶迦葉が釈尊にとっては同志のような関係であり、また先に記したようにいろんな場面で摩訶迦葉に法の付嘱をする意志を漏らされていたからではないかと考えられる。

なおこの結集の会において阿難によってもたらされた釈尊の「小々戒は廃してもよい」との遺言を、摩訶迦葉は「未だ制せられないものは制せず、制せられたものは破棄しない」と提案し、それが承認された。これによって戒律は固定され、これ以上に制定されることもなく、また改正されたり、廃止されることもなくなったわけである。

第2稿に記されているように、釈尊の教えはヒンドスタン平原のガンジス河中流地域(中国)とその周辺(辺国)の外には広まらなかった。インド亜大陸の中のほんの一部分である。比丘・比丘尼の生活やサンガの運営を律する戒律の制定権は釈尊のみにあり、しかもその戒律は随犯随制されたから、比丘たちはこの動向を知るために釈尊のもとに集まる必要があった。そのため釈尊から離れて遠くに布教に出ることもできなかったし、釈尊の行動範囲も制限されたからである。

しかしながらこの結集における摩訶迦葉の裁断によって仏弟子たちは自由に動き回ることができるようになった。これを機に釈尊の教えはガンジス河中流地域地方という枠を超えて一気に西北インドにも東インドにも広まったものと考えられる。これもまた摩訶迦葉の大いなる功績といわなければならない。

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