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第22回「涙骨賞」を募集
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《「批判仏教」を総括する➀》「批判仏教」論争の本質を問う(1/2ページ)

駒澤大名誉教授 石井公成氏

2025年9月19日 11時14分
いしい・こうせい氏=1950年東京都生まれ。早稲田大大学院文学研究科単位取得退学。博士(文学)。駒澤大名誉教授。専門はアジア諸国の仏教と関連文化。主著は『華厳思想の研究』『東アジア仏教史』『聖德太子―実像と伝説の間―』など。

かつて「批判仏教」と呼ばれる思想運動が駒澤大学を起点に日本仏教界に大きな衝撃を与えた。あれから数十年。今、改めて「批判仏教」とは何だったのかを問い直す。学識者7人による連載形式で掲載予定。

袴谷、松本両氏の論考

批判仏教という呼び方は、駒澤大学仏教学部の教員であった袴谷憲昭氏が本覚思想は仏教でないとし、「仏教とは批判である」と主張したことに基づく。早い時期に学界に衝撃を与えた論文としては、袴谷氏の1986年の「道元理解の決定的視点」(『宗学研究』28号)と、同僚であった松本史朗氏が同年に発表した「如来蔵思想は仏教にあらず」(『印仏研』35巻1号)が代表的なものだ。

以後、この二人のすぐれた仏教学者の著書と論文は、斬新な視点と画期的な発見、そして糾弾調の激しい論法によって学界に衝撃を与え、「仏教とは何か」という問題を再考させた。その結果、賛成派・反対派を問わず、如来蔵思想・本覚思想・道元思想の研究を大幅に進展させることになった。

二人の問いかけは、近代仏教学というより、仏教思想史上の注目すべき主張として評価される可能性があったかもしれない。少なくとも松本氏は、書きぶりから見て、それを意識して論文や著書を発表していたように見える。

それだけに、氏の主張が「袴谷・松本の本覚思想批判」、「袴谷・松本の批判仏教」と呼ばれることは、満足のいくものではなかったろう。袴谷氏と対立するようになり、1999年のある事件がきっかけで氏に対して論文上で絶交を宣言した松本氏は、自分の「如来蔵思想=基体説」こそが新しい視点の根本であり、「本覚思想批判」という呼び方は適切でないため、自分については今後は「批判仏教」と呼ばないでほしいと言明するに至った。

学問上の親しい同志であった二人は、実際には互いに影響を与えあっていたが、基体説が松本氏の提唱であったことは確かだ。ただ、最下層の基体が諸現象を生むとする松本氏の図は、中国の発生論的仏性説の説明としては優れているが、インド仏教の場合は、根源的な円が諸現象を包みこむ形の袴谷氏の図が適切ではないか。

以後、松本氏は袴谷氏の論文の内容を厳しく批判するのみか、批判仏教と称しつつも肝心の自分自身に対する批判が足りない、などと袴谷氏の学問姿勢そのものを厳しく論難するようになった。

その袴谷氏は、上記の論文で、本覚批判こそが道元の一生を貫く立場だったと主張したが、道元の著作には本覚思想を認めている箇所があると指摘されると、初期はそうだが晩年の十二巻本『正法眼蔵』は違うと説き、十二巻本にも見られると指摘されるとそれを認め、晩年も不十分だったが道元は本覚思想批判の方向をめざしていたとし、以後、道元には触れないと宣言して、法然こそが本覚思想を批判していたと論じたものの、法然は末法の人には無理としていたのであって否定したのではないと指摘されると、法然にも触れなくなり、説一切有部こそが仏教本来の立場だと説くようになった。

一方、松本氏は、仏教研究に入る前は早稲田大学でロシア文学を学んでいてドストエフスキーを好んでおり、またキェルケゴールの思想やバルト神学などに親しんでいたためか、次第にその影響が色濃く出た論文を書くようになる。最後には、危機的な歩みを続けていくのは困難であるため、釈尊も絶対者に出逢うことを待ち望んでいたのではないかと説くにまで至った。これは、釈尊は人間が悟った存在であって、キリスト教の神のような超越的な絶対神ではないため不十分だ、とするに等しい。

両氏の主張がなされるには複数の背景があった。一つは、両氏とも駒澤大学を卒業した後、東京大学の大学院に進み、そこで文化交流研究施設の山口瑞鳳氏からチベット語とチベット仏教を学び、影響を受けたことだ。山口氏は、如来蔵思想を重視する平川彰・高崎直道氏など文学部の印度哲学科の主流の学者からは、チベット語学やチベット史の専門家のように見られることを不満に思っていた。そのためもあってか、チベットの中観派の「空」の説を研究した山口氏は、「有」の面が強い如来蔵思想とその立場を強めた中国禅宗に批判的な目を向ける論文を書くようになっていた。

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