《「批判仏教」を総括する➁》現象主義的縁起説と基体説(2/2ページ)
東京大名誉教授 末木文美士氏
しかし、じつは空海のみならず、安然も偽書説を取りながらも積極的に用いている。その後、院政期頃から『釈論』復興とも言えるように盛んに取り上げられ、その影響は聖一派の円爾や、その弟子の癡兀大慧に及んでいる。古代から中世前期の日本の仏教の見えざる中核を作っていたのが『釈論』であった、と言っても過言でない。
『釈論』の流布を考えると、不思議なことが見えてくる。新羅の成立、あるいは少なくとも新羅系の作者によるものと考えられるが、そのためもあってか、中国の主流をなす漢民族の仏教の展開の中では引用も少なく、あまり影響を与えていない。ところが、中国北部を支配し、宋を圧迫した契丹の遼(916~1125)では、本書が極めて重視され、注釈書も書かれた。契丹と日本とは直接交流はなかったが、宋を通してそれらの注釈書が日本に齎され、それが院政期の『釈論』復興の原動力となったのである。そう考えると、『釈論』は漢民族を囲む周辺の諸民族による、いわば環中国仏教圏の大きな思想的基盤をなすものであったとも言えそうである。
『釈論』のもとになる『起信論』では、一心=衆生心=大乗(摩訶衍)を心真如門と心生滅門の二門から見ていく。生滅は迷いの状態、真如は悟りの状態で、前者から後者への転換が求められるが、真如も生滅と二項対立的に定立される以上相対的であり、絶対的とは言えない。生滅の苦が解消すれば、真如もまた自立的に存在する意味はない。その点からすれば、必ずしも絶対的な基体とは言えない。
ところが、『釈論』は『起信論』の注釈書と称しながら、『起信論』とまったく異なる新しい体系を作り出し、後者の相対主義を大きく転換して、相対性を超えた絶対的な存在の可能性を打ち立てる。この点で、『起信論』ではなく、『釈論』こそが基体論的な仏教思想のもっとも極端な典型を示す論書と見ることができる。
具体的に『釈論』の体系を見てみよう。『釈論』の基本は、三十三法門を立てるところにある。そのうちの三十二法門は、十六の能入の門と十六の所入の法からなる。能入の門は入り口となる因の修行であり、それによって果の真理である所入の法が悟られるのである。その十六のセットがまた、前重の八門・八法と後重の八門・八法に分けられる。前重は高位の菩薩によって達せられるものであり、後重が凡夫や低位の菩薩のレベルである。
注意すべきは、真如門と生滅門は後重の門として位置づけられていることであり、それによって、それぞれ所入の一体摩訶衍と三自摩訶衍(三自は自の体・相・用)の法が悟られるというのである。即ち、『起信論』の真如門・生滅門の体系は、凡夫に向けて説かれたレベルの低い方便的なものに過ぎないことになる。このように、『起信論』の注釈書でありながら、注釈対象の価値を引き下げるという驚くべきことをしているのである。
それでは、三十二法門に入らない残りの一つは何かというと、それこそが不二摩訶衍であり、一切の因果を超越しているという。因果を超越しているということは、どのような修行によっても到達不可能であり、その内容を言語的に表現することもできないということである。即ち、一切の人知を超越した絶対なるものである。
それは松本氏の言う基体的な存在ではあるが、因果を超越しているので、そこから世俗の法が出てくることもあり得ず、それでは基体とも言えないことになってしまう。さすがにそう言ってしまうと、それではそもそも不二摩訶衍なるものの存在自体が不可知になって、体系に組み込むことも不可能になってしまう。そのあたりは曖昧なところがあるが、いずれにしても不二摩訶衍という形で絶対的原理を定立したことは、通常の仏教の枠では考えられないことであり、『釈論』が仏教思想史上できわめて特異な位置に立つことを示している。
この『釈論』の特異な思想に着目したのが空海であった。『釈論』では絶対存在である不二摩訶衍は言説不可能とされるが、空海はそこに顕教の限界を見る。その絶対存在たる不二摩訶衍を法身と解し、法身の説法を聞くことができるところにこそ、密教の優越があるのだとする。曼荼羅世界とは、まさしくこの人間には禁断の超越世界の開顕に他ならない。こうして、『釈論』は日本仏教に新しい方向を開くことになる。それは、まさに初期仏教の現象論的縁起説とは正反対の基体説、あるいはそれをも超える絶対の探究と言うことができる。どうやら日本の仏教はとんでもない方向へ向かってしまったようである。
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