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中外日報社「宗教文化講座」

《「批判仏教」を総括する⑦》批判宗学を巡って(2/2ページ)

駒澤大仏教学部教授 角田泰隆氏

2025年10月20日 09時48分

また、松本氏は、②「いかなる対象」の中に「教義(縁起説)」も含めるが、このことと⑥批判宗学自身の見解は、縁起説であり…とは矛盾しないのであろうか。このことは、⑥の批判においてさらに述べる。

さらに、松本氏は③従って、批判宗学は、密教の否定であるとするが、私はもし道元禅師の教説において密教的性格が見られれば、その事実を肯定的に受け止める。何か別の視点から、つまり道元禅師の教説以外の視点からそれらを否定することはしない。おそらく、「批判宗学」の重要な視点である「道元禅師に思想的変化を認める」ことが関わるのであろうが、私は道元禅師に思想的変化を認めていない。

④批判宗学は、宗祖無謬説に立たない。一切のguru(尊師)崇拝を排除する、とするが道元禅師無謬説に立たないということは、道元禅師の教義について、自らの判断において正邪を決し取捨選択するということなのであろうか。自分自身をguruとすることにならないのか。

松本氏は、⑤道元の思想的変化を認め、道元が目指そうとしたもの(正しい仏教)を目指すというが、道元禅師が目指そうとしたものを推し量るのは誰なのか。「正しい仏教」とは何なのか。それを決めるのは誰なのか。それをどこから導き出すのか。もし、道元禅師の著作から導き出すというなら、その説示を選ぶのは誰なのか。道元禅師の思想的変化を認めた場合、どこを、何を、道元禅師の本意と定めるのか。それは研究者の主観によらないのか。

確かに、道元禅師の著作の中には矛盾的説示がある。しかし、その説示の違いを、そのまま思想の変化と受け取ることは倉卒である。即ち、説示の変化(相違)については、道元禅師が自ら述べられていない限り、短絡的に思想の変化と受け取るべきではないと考える。

⑥批判宗学自身の見解は、縁起説であり、行は、縁起説にもとづく誓度一切衆生(自未得度先度他)の行である、とするが「批判宗学自身の見解」とは、いったい何を意味するのであろう。「批判宗学自身」と言ったところで、それは松本氏の見解であり、松本氏自身が「縁起説」や「誓度一切衆生」を絶対視していると思える。このことは、②で挙げる「いかなる対象」の一つである「いかなる…教義(縁起説)」も絶対視しないことと矛盾することにならないのだろうか。

「縁起説こそ正しい仏教である」「如来蔵思想は仏教ではない」「本覚思想は仏教ではない」等の松本氏による宗学外の研究に基づいて道元禅師の仏法が批判されることは、「宗学」外の研究として自由に行われることはよいとしても、それに「宗学」という名を冠して、そのような宗学に移行すべきであるという提言は認めることができない。

松本氏は、⑦批判宗学は、本質的に、社会的(「誓度一切衆生」)でなければならないという。であれば「仏教学」も「禅学」も社会的でなければならないであろうが、私は、学問は必ずしも社会的ではないと考える。社会的でなければならないとすれば、それは宗学そのものではなく、宗学を研究する研究者であり、研究者は学問のための学問ばかりではなく、社会的学問も行わなければならないと私は思う。

また、⑧曹洞宗は、『弁道話』の見解と行、即ち、如来蔵思想と神秘的密教的坐禅を捨て、後期道元のものと思われる「深信因果」(縁起説)と「誓度一切衆生之坐禅」にまで、進むべきものと思われる、と言うが、私の思うに、『弁道話』も、「神秘的密教的坐禅(「一寸坐れば、一寸の仏」)」も、すべて道元禅師の思想として認められる。故に捨て去る必要は全くない。

以上が私の「批判宗学」批判の主旨である。もう三十年近く前のことであるが、右の私の批判に対し松本氏は、「私の見解に対して明確にアンチテーゼを提示されたもの」として評価してくださった。若輩の私の、全く異なった、それもやや感情的な批判を受け入れてくださったことに還って松本氏の「批判宗学」の本質を見る思いもしたものである。また松本氏からは、「批判と宗学というものは、相い矛盾するものかしれないが、この矛盾する両者が合体することによって、自己批判、自己否定というものが成り立つのではないかと考える」(『宗学研究』第40号)とも述べていることについて御一考を頂きたい(同41号、99年3月)、という宿題を与えられた。矛盾する両者が合体するとはどういうことなのか今もって理解しえないでいる。


連載「『批判仏教』を総括する」はこれで終わります。

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