故郷への思いが力に 被災地に寄り添う支え(6月5日付)
故郷への思い、同郷人とのつながりが、災害時には大きな支えとなることが多い。困難な状況が長引く能登半島地震でも、例えば近畿一円に居住する石川県珠洲市出身者の「関西珠洲会」が目覚ましい動きを見せている。
まずは1月に京都市内で義援金の募金活動を開始。その後も月2回ほどのペースで街頭募金を続け、3月上旬には琵琶湖でのレクリエーションイベントでも石川県人会と合同で募金をした。これらの浄財は、連絡先がはっきり把握できる石川や富山各地に2次避難している被災者計245人に「見舞金」として直接届け、郷里から遠く京都、大阪、兵庫に避難している住民にもギフトカードを贈呈した。いずれも、能登の故郷の味「かき餅」を一緒に贈る心配りだ。
金銭ばかりでなく、各地で能登の地産品購入紹介を展開。また被災した漁業者に対し、漁が再開できるまでの仕事作りにと海上警戒船業務を企画してクラウドファンディングで船調達などの資金を集め、生活支援につなげている。春の選抜高校野球では、甲子園球場に県代表2校の応援にまとまって駆け付け、開会式で黙祷も捧げた。
助けられた地元住民からは、地震の深刻な被害報告と共に「心が温まり、ただただありがたい」「励まされ、珠洲に戻りたい気持ちが高まった」「かき餅がうれしかった」などと感謝のメッセージが寄せられ、会報に掲載されている。このように物心両面での支援について同会では「少しでも皆さんの心の拠り所になれば」と話す。
能登の被災地にボランティア活動に行くと、住民の地元への愛着を実感することが特に多い。珠洲市で自宅が全壊し学校避難所での炊き出しに訪れた50代の主婦は「能登は半島なので人の出入りが少なく、特に珠洲は高齢化率が県内一。地震で仕事がなくなったから若い人たちがますます外へ出て過疎になる。でも私はここが故郷だから出たくない」。別の高齢女性は「母親が全壊した家の下敷きになって亡くなった。でも生まれ育ったこの土地を離れたくない」と問わず語りに話した。
こんな故郷への思いは東日本大震災の被災地でも同様だ。津波で家や生活の全てを失ってもやはりそこに住みたい。ましてや原発事故で理不尽にも人為的に長期避難を強制された被災者たちの望郷の念は強烈だ。その東北でもそして阪神・淡路大震災の被災地でも、支援に尽力し続けた僧侶たちに「寺の存在は見慣れた故里の景色であり、皆さんの心の支え」という気持ちが共通していたのが印象的だ。