同性カップル「祝福」 宗教的対立はらむ生命倫理(6月7日付)
同性愛カップルに対する祝福の可否という問題を含むバチカン教理省の宣言「フィデューシア・サプリカンス」は発表以来半年たっても反響はなお静まらない。
カトリック内部にもジェンダー平等などへ理解を示す教皇フランシスコを「偽預言者」と攻撃する元駐米教皇庁大使ビガノ大司教のような人々がいる。ロシア正教のキリル総主教もLGBTQの動きにかねて強い嫌悪を示してきたことで知られる。同総主教は「フィデューシア・サプリカンス」について総主教庁の聖書神学委員会に諮問し、「キリスト教の道徳的教えからの急激な逸脱を反映している」という見解を引き出した。ちなみに同委員会委員長はウクライナ侵攻後に要職の対外教会関係局長から左遷されたヒラリオン府主教で、教皇とも親しい人物だ。
バチカンは反響の大きさに、「宣言」の軌道修正を迫られた、というべきか。その発表からわずか半月後に教理省長官名で、「フィデューシア・サプリカンス」の重要な点は「祝福の古典的理解を広げ、豊かにする可能性を求めた」ことにある、と同性愛祝福の誤解を訂正する声明を行った。さらに、4月8日には「ディグニタス・インフィニタ(無限の尊厳)」と題する教理省宣言で、戦争や人身売買などと並んで「生物間に存在する最大の差異である性差を否定する意図」を持つとして「ジェンダー理論」を批判している。
教皇も先月、米の放送局CBSのインタビューに応じ、同性愛は教会の法に反するため祝福できない、と明言した。例えば同性愛者の個人に対する祝福は可能だが、「同性の結合(same-sex unions)」は祝福できない、というわけだ。
日本では同性婚は法律上認められていないが、合法化を認める声は多いとされる。ただ、その是非の判断は信念(世俗的あるいは宗教的)に基づくかといえば少し違うようだ。米の世論調査研究機関ピュー・リサーチセンターによると、日本における同性婚肯定は74%で西欧並みに高い。しかし強い支持より「どちらかといえば」という曖昧な是認が非常に多い。
性差についての考え方は時代と共に変化してきたし、グローバルな基準はこれからも変わってゆくだろう。一方、「どちらかといえば」という曖昧さは日本的で、当面あまり変わらないかもしれない。ただ、同性婚のみならず生命倫理に関わる多くの問題は、宗教的立場から深刻な対立をはらんでいるし、その溝は容易に埋まりそうもない。このような信念の相違があることを、我々も十分に認識しておく必要性は高まっている。