世俗化社会の中で 問われる公共領域での宗教(6月26日付)
世界最多の有権者によるインド下院総選挙に続いて、それに次ぐ規模のEU(欧州連合)議会の選挙がこのほど行われた。インドは人民党(BJP)が第一党の座を引き続き占め、モディ首相が政権を維持したが、BJPは議席を減らした。EU議会は右派の台頭が目立ち、フランスは選挙の結果を受けてマクロン大統領が自国の議会の解散総選挙に踏み切った。
インドではBJPが推し進めるヒンズーナショナリズム政策の下、ムスリムやキリスト教徒などが圧迫を受けてきた。仏教を奉じるダリットへの攻撃、社会的不平等とそれに対する抵抗については、現地の禅僧ボディ・ダンマ氏が本紙に連載した「インド通信」でも詳しく報じていた。
総選挙ではBJPが過半数を割る結果となった。しかし、選挙中もモディ首相がムスリムを批判するなど、宗教的差別・不寛容が政治的文脈で高まる可能性が示された。EU議会における右派台頭もイスラムフォビアなどが背景にあり、異質なものの排斥を指向している。
宗教の私事化=宗教衰退というという世俗化理論に対し、ホセ・カサノヴァは『近代世界の公共宗教』(津城寛文訳)において、公共の領域で宗教が社会的役割を維持し、存在感を持つ「公共宗教」という宗教の復興現象を提示した。そこにはグローバルな共通善の可能性が暗示されていたと考えるが、ヒンズーナショナリズム、ロシア・プーチン政権とキリル総主教の正教会の蜜月関係、中国・習近平総書記の「宗教の中国化」政策、アメリカの福音派の影響力行使など、国家主義的・排他的「宗教復興」現象が一方で見られる。
日本では、第1次安倍政権における教育基本法改正の宗教教育の議論で宗教情操教育が提唱されたことがある(が実現するには至らなかった)。それとは別の局面で、大災害時の被災者支援や、地域社会の中心としての位置など、公共の領域で宗教者、宗教団体、寺社等の宗教施設の役割が近年、重視されつつある。寺離れなどの世俗化の現象は進んでいるものの、私事化で宗教の公共性が失われるという展望とは異なる動きも見られる。
今後、日本でも、公共の領域での宗教者、宗教施設、宗教団体の役割が注目されることがさらに増えてゆくだろう。その中において、私事化した宗教の公共圏での復活の可能性も同時に問われるに違いない。先に挙げたような海外の公共宗教的事例は、政教分離原則の枠内で、反面教師として注視すべきところは少なくない。