異文化伝統との共存 外国人労働者問題への視点(9月25日付)
北海道京極町の農業法人で「特定技能」の在留資格で働くミャンマー人労働者に対する暴力やハラスメント行為があったという訴えが最近報道された。外国人技能実習生に対する人権侵害行為などは全体の一部としても、これまでしばしば伝えられており、またか、という印象がある。
外国人技能実習生については、一方で、日本への出稼ぎ労働の機会と捉えて、より高い賃金を求めて失踪する者が多いということも指摘される。そこから不法滞在者問題なども派生する。
技能実習制度は、途上国への技術移転により国際貢献を図るという目的が名目として掲げられてきた。しかし、現実には安価な「労働力」の受け入れ制度として機能してきたのが実態だ。政府は現在の技能実習制度を「発展的に解消」し、人材育成と人材確保を目的とした「育成就労制度」を来春から施行する。労働力確保の本音の部分は強化されるのだろうか。
海外からの「労働力」導入制度は経済界からの要求に政治が応えたものだ。ただ、経済界が要求したのは労働「力」であって、労働する「人」ではなかったと見るべきだろう。文部科学省も企業が「労働力」として受け入れることが可能なように日本語教育の態勢づくりまでは行ったが、海外から来た人々がそれぞれの文化的背景を持った人間であることまでは十分考慮していないように見える。
異なる文化的な背景を持つ人が生活圏を共にする場合、そこに出会いが生まれ新しい価値が発見される可能性もある。しかし、現実には価値観の差異、信仰、慣習の違いが摩擦を生むことも多い。
外国人労働力受け入れに関する「資本の論理」はこうした「心」の問題を無視する。しかし、彼らを受け入れる社会は外国人労働者との関係を一部資本家が考えるような単なる「労働力」ではなく、人間同士の問題として直視しなければならない。日本に来たのだから全て日本のやり方に従え、と一方的に強要するのは傲慢だろう。
資本の論理であろうと、他の動機であろうと、この社会に迎え入れることになった海外にルーツを持つ人々との調和的共存は、相互理解、寛容の心がベースとなる。そうした姿勢は、宗教者が異なる信仰を持つ人々との交流で求められてきたものでもある。
イスラムのハラールなどすでに常識化したもの以外にも、宗教が根底にある生活態度や意識などの差異が存在する。こうしたものもボタンの掛け違いで対立や差別につながる恐れがある。お互いを理解し、場合によっては許し合える社会をつくるため宗教者が貢献できる部分が大きいのではないか。








