『釜ケ崎と福音』 支えられる側にこそ力が(9月30日付)
「神は貧しく小さくされた者と共に」の副題がある本田哲郎神父著『釜ケ崎と福音』は2006年の初版から改訂を重ねてなお、人を支援しようとする人々の座右の書として広く読み継がれている。
助ける側ではなく助けられる側にこそ神=真実の力が宿るという刮目の真理を巡り、最近も宗教者らの読書会が開かれている。
若くしてカトリック教会フランシスコ会日本代表だった本田氏は、大阪の貧しい労働者の町・釜ケ崎でたまたま夜回り活動をした際、怖々毛布を渡した野宿者から「すまんな、おおきに」と労いの声を掛けられて衝撃を受けた。それまでの、信仰によって「恵まれない人を救ってあげる」という姿勢を百八十度転換させられた。
外面の立派なエリート、「良い子」ぶった自分の方こそ救われている、〝高み〟から手を差し伸べるのではなく、相手より「下に立って」、話を聞いて理解する、それこそ「Under stand」だという気付きだった。
新共同訳聖書の翻訳にも携わった神学者だけに聖書を引用しての論述は精緻であり、ギリシャ語の原典によって独自に適切な訳を示す。例えば従来の「小さい人々」=困窮者は、「小さくされた人々」つまり社会の構造によって抑圧されていることが明示され、そこから脱却、救うためにはその社会自体の変革が必要という「大きな物語」が射程に入っている。
現に釜ケ崎でも、職をなくしても放置される日雇い労働者への支援だけでなく、行政当局への働きかけにも参与する。何より大事なのは、深い信仰に裏付けられた洞察からくる行いであり、神父は地元の慰霊祭ミサでも「社会問題から目をそらして天国で救われると説くのは欺瞞です」と話す。
「小さくされた人々」の側にいる神の前で、それに照らして自分はどう生き、行動するかというこの宗教者としての理念、真摯な思考様式は実は、教派の違いを超え、さらに非宗教者にも通じる。
「神」や「イエス」を例えば「重要な価値」に、あるいは行動に導くという側面から「スーパーバイザー」に置き換えれば分かりやすい。
であるからこそ、本書が宗教的立ち位置に関係なく福祉や医療、人権課題など幅広く様々なケアの関係者にも読まれ、支持されているのだが、被ケア者が「自分はケア者のスーパーバイザーだ」と思っているわけではもちろんない。
大事なポイントは、ケアする相手とのこの関係性、どこに重要な価値があるのかをケア者自身が見いだし、かつ実際の具体的なケアにつなげることであるのは言うまでもない。








